乗ってきました
2007/11/21
(この記事は2007年、母が、まだレビー小体型認知症と診断される前のものです)
はい。乗ってきました、救急車。そして帰りはタクシーで。
水曜日は母が私んちで夕飯を食べる日。
食後、椅子に座ったまま虚ろな眼差しで固まっているので、「そういう時って、なんか考えてるの?」と訊くと、「何にも考えてない。ボーっとしてるの。なんだか背中が気持ち悪くて…」と言う。
肩、首筋、背中のこりが尋常ではない。ソファのほうに移動させると、そのまま座って目を瞑る。どうのこうの、三言四言愚痴をこぼし、だんだん黙ってしまった。「大丈夫? どうしたの?」と訊くと、「頭が…」と言ったきり黙っている。目を閉じたまま、そのうち反応が少なくなってくる。
「救急車呼ぼうか?」というと僅かに首を横に振っていたけれど、そのうち私の声にもまったく反応しなくなってしまった。
いつものように血圧が低いだけ、と思い込んでいて、ひょっとしたら脳内で何か起きていたら?ということだってある。高を括っていて、とりかえしのつかないことになってから後悔しても始まらないし。
救急車を呼んだ。
それから下の姉に電話をした。上の姉はお休みで、またいつものように軽井沢に夫婦で逃避している。
待っている間に隣の母の部屋へ行って、保険証を探すけど見つからない。いつも持っている手提げの中に入っていない。私が探している間に救急車の中から電話があり、珍しく今夜は家にいた娘が対応をしている。
姉が来たから代わりに保険証を探してもらって、私はトイレを済ませようとしているうちに救急隊員が来た。救急隊員は4名だったか?
その頃には母の意識は戻っていた。それでも固まったまま、明らかに様子がおかしい。それでも血圧は(上が)100ある。低い時には上が60くらいになってしまうんだけど。
担架に乗ろうというのに、母はトイレへ行くといってきかない。支えながら我が家の狭い廊下を歩いて、トイレに入っても、母は動くことができない。私は支えきれずに救急隊員を呼んだ。
急遽椅子を持ってきて座らせ、どうにか方向転換して便器に座らせた。
「病院まで我慢できませんか?」と訊かれるけれど、母はどうしてもトイレを済ませるのだといってきかない。出かけるときには、一滴も出なくてもトイレに行かないと気が済まない人だ。
「男の人がいたら、トイレができない」と、この期に及んで男の目を意識する。誰も見てませんって。私が身体を持ち上げてズボンやら下着やらを引き下げ、どうにかトイレを済ます。
救急車に付き添いとして乗るのは初めて。車中でいろいろ訊かれて、近くの貧弱な救急病院に連れて行かれる。
「だいぶラクになりました」と寝ながら母は言って、それから立ち上がって軽く問診して、何事もなく終わった。
「脳のMRIも最近やったのなら、いいですね?」ということだ。「おうちに帰ってゆっくり休みましょう」で終わりだ。
救急とはいえ、しょせん小さな個人病院。それも古い。当番医は外科の医師。何をやれるわけでもなく、また何をしなくちゃいけなそうな様子でもない。大きな病院だったら、頭のCTくらいは撮るんだろうか。
看護師さんがタクシーを呼んでくれる。母は運転手に道を説明するのだけれど、なにかおかしい。
「それって1本道が違わない?」と私が言うけど、「いいのよ」と言い張る。馬鹿な私は混乱し、運転手も混乱する。
結局道が1本違う。「ねえ、頭、大丈夫?」と訊くと、「ちょっとヘン」と母は答える。
帰ってから、母の馬鹿みたいに固い肩と首をマッサージ。姉とふたりでマッサージ。
ちょっと腹が立つので、姉夫婦が泊まっているはずの軽井沢のマンションに電話をしてみたが、留守だった。
家に救急隊員がドヤドヤ入ってくるという、子供達にとっても初めての経験だった。「ああ、お母さんが急に死んじゃったら、どうすればいいんだろう?」と、娘は悩む。ほんと、そうだよね。
人間、いつ死ぬかわかりませんから…。だから毎日、綺麗なパンツをはきましょっと。
これから度々、こんなことがあるのかなあと思う。
母はソファに座ってからしばらくのことをほとんど憶えていない。その時目を瞑りながらこぼしていた愚痴や不満の言葉も憶えていない。
おお、怖いよ。
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