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義務感だけで生きる

2007/08/24
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)


母の部屋の浴室の、シャワー本体が壊れた。シャワーと蛇口から出るお湯が、イマイチぬるい。すぐに駆けつけてくれた工務店の人が調べて、原因が判った。

後日本体を交換ということになり、力のない母は浴槽からお湯をくみ出してシャンプーすることがしんどいようなので、私の家で入浴するよう伝えた。

急いでお風呂の掃除をしてからお湯はりをして、電話で母を呼んだ。母はノソノソとやってきて、「この部屋は寒いわね」と言う。だけど背中に汗をかいている。扇風機が嫌そうなので止める。

しばらくすると、「なんだか暑くなっちゃった」と言う。「もっと涼しくする?」と訊くと、「身体が冷えちゃうからイヤ」と言う。

お風呂場に行って、母のところとは違うシャワーの使い方などを説明するが、「なんか今日はヘンなの」と言って座り込んでいる。
「入るのやめようかしら」と言い、「シャンプーはやめとこうかな」と言い、「やっぱり汗だけサッと流すか…」と言い、「後で身体拭くだけにしようか」と言う。

「私が流してあげようか?」と訊くと、「やっぱり入るのやめとくわ。なんか自信ない」と言う。「身体、拭こうか?」と訊くと、「じゃあ背中、拭いてもらおうかしら?」と言い、「やっぱり帰って自分で拭くわ」と言い直す。「『あら、痩せてるわね~』とか言われたくないの」と言う。

母は痩せてしまった身体をとても恥じる。といってもガリガリなわけではない。ただ筋肉がないのと急激に体重が減ったので、タレタレになっているのだ。まったく、娘にまで見栄をはってどうするんだと思うけれど、見栄をはれるうちはまだいいのかしらと思って、引き下がることにした。

母を部屋まで送る。フラフラしながら「身体拭かなくちゃ」と言うので、「何も今無理にしなくたって、9時からのドラマを見終わってからだっていいじゃないの」と話す。「だってその前にさっぱりして、それから見なくちゃ」と母は言う。

職人さんが入る前に○号室の鍵を開けなくちゃ、とか、明日は資源回収の日だからダンボールを外に出さなくちゃとか、母は自分に残された僅かな「~~しなくちゃ」だけのために生きているみたいに見える。

その僅かな「~~しなくちゃ」いけないことさえ、だんだんできなくなってきて、母は喪失感に打ちのめされている。義務感とか責任感を感じていなくちゃ、母は生きられない人なんだ。朝は起きなくちゃいけないから睡眠不足でも起きて、フラフラして。洗濯はしなくちゃいけないから洗濯機を回して、でもフラフラして干せなくて。

実はもう、どれひとつとして、どうしてもしなくちゃいけないことなんて母にはない。それくらいのこと、明日でもあさってでも構わないし、私がいくらでも代行してあげるのよ。私はそれを懸命に伝えながら、自分がとても残酷なことを言っているのだろうと自覚する。

母は何ひとつすることがなくて、したいことがなくて、凍った顔でソファに座っている。脳細胞は恐ろしいスピードで、死んでいっているんだろうな。

こうはなるまい。こんなふうにはなるまい。母を見ていつもそう思うけれど、同じ血が流れていることも私は知っている。

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