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喜の字の齢

2009/6/4
(この記事は2009年のものです)


昨日は母の誕生日だった。どうのこうので、母も77歳を迎えた。
「喜寿」だってことで母自身も実は前から、今年の誕生日には結構な思い入れがあったようなのだ。

なんやかんや多少姉ともめて、結局姉がバースデーケーキをつくり娘を連れて旦那の車で、私はプレゼントを持参してひとりで、病院へ行った。ひとまわり年下の、母の妹もすでに病室に来ていた。

母は大勢からちやほやされることが大好きなので、5人に囲まれて車椅子で、病院の2階にある家族談話室ってところに移動した。ケーキとフラワーアレンジメントとプレゼントを前にして、私と姉が構えたカメラに向って、母は懸命に笑顔をつくる。

無理やり口角を上げるので、ほうれい線と鼻の穴が目立ってしまい、森進一の物真似みたいな表情になってしまう。最近また1キロ痩せたという母は、
車椅子に乗って上体が起きると、いきなり頬が垂れさがって老けこんで見える。

それでも姉のつくった夕張メロンのショートケーキを母はぺろりとたいらげ、カフェのマスターである義兄が淹れてきたコーヒーを「美味しいわ」と言って飲み干す。そして「もう、戻ろう。ちょうどいいわ」と母は言う。あっという間だった。

週に1回水曜日に、民間企業の介護サービスを頼んでいる。「淋しい」と言う母のお話し相手をしてもらっている。母といろんな話をしたり、マッサージをしてもらったりして、2時間を病院で過ごすという契約だ。

その方と昨日、初めて私たちは顔を合わせた。とても丁寧で上品な方。母の誕生日に家族が集ってお祝いをしたのだと知ると、「幸せですね。とっても幸せですね」と熱く母に語りかける。

その場の空気が急にドラマティックになって、母は顔を歪めて泣きかける。そこへ姉が、「じゃあ、私は明日また来るわね」と母に言い、さらに私が母の手を取って、「私はあさってよ」などと言ってみる。

「まあ、毎日毎日、ほんとうに幸せですね」などと、女性がいっそう盛り上げてくれるので、私たちは素晴らしき心優しい娘たちのふりをして、病室を去ることが出来た。「やっぱり私たちに足りないのは、ああいう演技力よね」と、姉と語らう。

そうなのだ。母はもっとウソ臭い世界が好きなのだ。「大丈夫よ、お母さん。きっと良くなるわ」「早く退院して、今度こそみんなでハワイに行こうね」「歩けるようになったら、のんびり温泉に行こうね」母はきっと、そんな言葉を待っている。


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