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介助用車椅子
2007/07/30
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)
母のために、介助用車椅子を注文した。あの見栄っ張りの母が、とうとう受け入れることにしたのだ。
ネットで探すと、あらまあ、なんてすごい割引率! 60%引きなんてのがザラにある。いったいどうなってるんだい? と思う。
行きたかったコーラスにも行けない。コーラスに行くためにどうしても行きたかった美容室へも行けない。それどころかちょっとそこまでの散歩にも行けないし、何しろ近所の医者へも行けない。昨日の選挙投票も諦めた。
「できないこと」がここまで一気に押し寄せると、母の喪失感は量り知れないほど大きいだろう。それだけは解る。
ネットで車椅子をたくさんチェックした。ブレーキの種類、タイヤの種類、肘掛が固定式か可動式か、座面の幅。背折れタイプかどうか、重さはどうか。
それだけではない。母の場合、見た目が肝心。いかにもって感じの、よくある地味な格子柄なんてダメ。派手なものもダメ。私がいくつかピックアップして、プリントアウトして母に見せた。
いろんなことを考慮したうえで、デザイン的に母が気に入ったのが、ベージュにオリーブグリーンの花模様が入った、地味だけど洒落た感じのもの。
「じゃ、これね」と、母は簡単に言う。定価10万円以上するものが4万円もしないで買えるのだから、母にしてみればたいした買い物でもないのだろう。
今日、納期の件で、メーカーを通しての回答がメールされてきた。注文した商品は大好評で在庫切れ。生産し納品までに2週間かかるという。まあいいだろう。
昨日、母が死んだら誰に電話で知らせればいいのか、そんな話をした。母は手帳を見ながら知り合いをピックアップし、それを私が書き写した。「なんだか明日にでも死んじゃうみたいね」と母は言う。いいえ、人間そんなに簡単に死ねないのよ、お母さん。
それでも心の準備だけはしておいたほうがいい。いつだって、誰だってだ。
もし私が明日死んだら、どうしようかと時々想う。カウンセリングの予約のキャンセルを、まずクライアントさんに伝えなくてはいけない。そんなこと、誰がやってくれるのか? HPで掲示板に告知したり、閉鎖したり、そんなこと、誰がしてくれるのか。遺された遺族は、私の友達の誰と誰に電話するんだ? そんなこと、未成年の子供達に判ろうはずもないわね。
死ぬ準備がいくらか整ったら、落ち着いて生を楽しめればいいのだけれど、今の母にそんなことはできそうにない。何か、楽しい材料はないものかな。車椅子が来たら、どこかへ散歩へ行けるかな。暑いけど…。