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蛇の憂鬱
2009/1/20
(この記事は2009年のものです)
「リスがスタンダップ(stand up)!」と母がのたもうたのは一昨日のこと。
今日は蛇である。蛇は向かいのベッドのお婆さんの頭の上で、トグロを巻いている。「ああん、コッチに来たらどうしよう…」と母は怯える。
「ほら! 見てごらん。ネズミが煎餅の袋持って歩いてる」と、母は天井を見つめる。それってちょっと可愛いな。
母の口からは、不思議と英語がよく出てくる。
「リスがスタンダップしてたんだって?」と訊くと、「そうよ、今だってスタンダップしてソコにいるわ」と言う。「よくそんなに英語が出てくるわね」と私が言うと、「自然と口から出てくるのよ」と応える。
以前はベッドの「リクライニング」という言葉がどうしても思い出せずに、
「リターンマッチ!…じゃなくって、なんだっけ、リターンマッチ?」先日は「ナイスゴール」だったし。
母はいつでも、私が病室に着くなり「お腹空いちゃったぁ」と言う。まるで丸一日、何も与えられてないみたいな言い方をする。娘たちが持っていくおやつを心待ちにしているのだ。
「今日はまたコレ買って来ちゃった」と、母の大好きな抹茶クリームどら焼きを見せると、「上出来じゃない!」と喜ぶ。「グッジョブ!」とか言ってほしかったな。
看護師さんが他の人の用で部屋に入ってくると、母は手にしたどら焼きを、サッと布団の中に隠す。おやつをやたらに食べていることに、後ろめたさがあるのだ。いつまでも隠しているので、布団カバーに抹茶クリームが付着する。
部屋の空気が乾燥しているせいもあるのか、向かいのお婆さんはこの頃よく咳き込んでいる。「蛇が喉に入ったんだわ。どうしよう、私のせいかしら?」と母の眉間が不安げに曇る。
そんなことはないと母をなだめ、病室を去った。