母と胃ろう その2
2011/10/17
主治医と姉と私とで母の今後について話し合うため、電話で面談のアポを取った。その際に私は、母の意思を主治医に伝えた。
母は医師や教師などの前ではつい良い子になってしまい、「Yes」と言ってしまいがちなこと、しかし改めて確認しても母は胃ろうを希望していないこと、延命拒否の文書も手元にあること等を話した。その面談の席に、自分も参加して意見したいと母は希望した。
面談日の前々日、私は母の見舞いに行った。
その日の朝、娘達の言葉を信じきれなかったのだろうか、主治医は母に改めてまた、「F子さん、最後にもう一度訊くわよ」と、胃ろうへの希望の有無を確認したのだという。母はこの日きっぱりと、自分の口から胃ろうを拒否した。
しばらくすると、主治医がベッドサイドにやってきて言った。「今日お母様の意思と、あなた達の意思と確認できたわけだから、あさっての話し合いは要らないんじゃない? どうしても皆揃って私の顔を見たいっていうならそれは構わないわよ」主治医は笑いながらつまらない冗談を言う。
そしてその後サラッと、私と母の前でこう言ったのだ。「お母様は胃ろうはできないからね」私は一瞬耳を疑った。
主治医いわく、母のレントゲンを見ると、腸がパンパンにガスで腫れあがっている。だから毎日ガス抜き(摘便)をしているのだと。普通は胃の下におさまっている腸が胃の上にまで被さっている状態なので、胃ろうの手術はできない。胃ではなく腸に穴を開けてしまうことになると。
「さっきレントゲンを見てて、考えてたのよ」と、主治医は涼しい顔で言う。私達家族は、そんなレントゲン写真を見せられたことはもちろんないし、母の病状についての説明も、何ひとつ受けたことはない。
時々母の食事量が減ったことなどは伝えられたが、それすらもたまたまある日の様子を見て言っただけに過ぎず、現実の様子とは食い違っていることも多かった。
母の腸がそんな状態であると、初めから主治医がきちんと確認していたのなら、何度も母を惑わせることもなかったのだ。私達を罪人のように責めることもなかったのだ。
今日まで母のカルテを、検査結果を、主治医はきちんと目を通すことすらしていなかったのではないか? 「治療」を目的としていないこの病院の老人医療の現場で、あまりにも緊張感や医師としての責務を欠いてしまっていたのではないか? 主治医は自分の今までの軽率な行動に対して、謝ろうなんて気持ちは微塵もないようだった。
母に転院の話をすると、とても前向きな反応を見せた。もとから今の病院の一部のスタッフの対応に、嫌悪感を抱いていた母だ。
私は早速医師に、転院の希望を伝え、疥癬症とMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に感染していないことを診断情報提供書に記載してくれるよう頼んだ。
そして胃ろうの代わりに、IVH(中心静脈栄養法)を希望していることを伝えた。今の病院ではIVHを行っていない(設備や技術が足りないと思われる。ほとんど医療行為らしい行為は為されない病院である)ため、それのできる病院に移る、ということを口実とした。
主治医は帰り際私を捕まえて母の腸のレントゲン写真を見せ、改めて胃ろうが無理であることを説明する。何のために?
『そのレントゲンはいつ撮ったのですか? どうしてそのことを、もっと前の段階で気づかなかったのですか?』私は心の中で呟き、でも主治医と対立する結果になっては、まだしばらく入院する予定の母が気の毒だと思い、穏やかに対応しておいた。
それから主治医は私に、IVHのデメリットを得々と語り、自分は正直賛成しないこと、この病院ではだから経鼻栄養をしているのだと、負け惜しみを語った。私は笑顔で、でもどこかに「転院の決意は揺るぎない」という意思が滲み出るように意識して、病棟を去った。
その後は多忙な姉が窓口となって、事を進めた。診療情報提供書には言い訳がましいことが綴られており、MRSAの検査結果を待つ際にもひどい厭味を言われたとのことだった。
疥癬症もなく、幸いMRSAも陰性と判り、転院先の受け入れ条件はすべて満たした。後は病室の調整だけとなった。
先週12日の水曜日、転院先から病室の確保ができたと連絡があった。間違いなく、母の最期を看取ることになるだろう部屋だ。
そしてその一週間後、あさって19日に、母は新しい地へと向かう。