見出し画像

「私が死んでも…」

2011/1/6

「私の隣でご飯を食べていた人が、死んだの。色の白い人。でも、ここでは皆、そのことを隠すのよ」と、母は言う。「どうしてそのことを知ったの?」と私が訊くと、「話しているのを聞いた…」と母は答える。

そう、母のいう「色の白い人」の名札が、長いこと居た病室の入り口から消えていたことに、私も気づいていた。一時期は、母もその人と同じ病室の、隣のベッドに居たことがある。

とてもお金持ちそうで、気位の高い女性だった。食事の時間、皆がふつうのご飯を食べている時にも、パンしか食べないという主義を貫いていたらしく、一人サンドイッチを食べていた人だった。

母のいる病院の患者が、時々ひっそりと亡くなっていくのを、私も目撃したことがある。頭まですっぽりとシーツで覆われた形で、ベッドごと廊下の奥の、スタッフ以外は使わないエレベータの方に運ばれていくのを。

それから母の車椅子を押して散歩をしながら病院の裏手の小さな出入り口の前を通っていた時、スタッフ数人が手を合わせている姿と同時に、布で覆われたご遺体が乗ったストレッチャーが、車に搬入される瞬間を目の当たりにしたこともある。母が気づきはしなかったかと、ヒヤヒヤした。

ついこの間まであった名札が消えている。明るく挨拶をしていたはずのお爺さんが、いつのまにかいなくなっている。「あんたは私の家族かい?」と訊いてきた丸顔のお爺さんの姿があっという間に見えなくなっている。

「私が死んでも、誰も私の噂をしないのかしら…」と、母は無表情のまま呟く。意地の悪い見方をすれば、母はいつでも人から注目されたい人で、母はいつでも自分だけ特別扱いされるのが好きな人で、やっぱりそんなときでも、周りから注目され、驚かれ、嘆かれ、美しい大輪の花が枯れたのだと、明るい星が消えたのだと、今でもまだそう思われたいのかと、そんなふうに考えてしまうのだ。

母の言葉に何と返したらいいか、今日の私は迷ってしまった。「噂をするもしないも、ここは話のできない人が多いもの。そんなの…、大丈夫よ」と、つまらない言葉で誤魔化そうとしたけれど、まったく何が大丈夫なんだか、自分でもよく分からない。

去年の11月ごろ母が、自分のみた夢の話をした。自分の葬式の、祭壇の花が気に入らなくて、葬儀屋に文句を言っている夢だったという。

でも、それは大丈夫。私は母の好みをよく知っているから。入院する何ヶ月か前に、祭壇に飾る花の色味について、母の希望をきちんと聞きとっているから。だから、それだけは本当に大丈夫。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?