母の画像
2010/12/27
母のいる6階の病棟に着くと、廊下の向こうから、母が車椅子に押されてやって来る。今日はシーツ交換も含めて各病室の大掃除だそうで、患者は少しずつ食堂の方に移動される。
まだ人の少ない食堂の端のテーブルに私が陣取ると、徐々に他の患者さんの車椅子が集ってくる。ほとんどの人は、母の車椅子とは違う頭部の支えのない、コンパクトな自走式のタイプを自分で乗りこなしている。老化が進んで足が弱っているだけで、どこも悪くないように私には見える。
母は自分の背後に大勢の患者が集まってきたことを察知し、食べかけていたおやつを「後で食べよう」と呟く。言葉を聞きとるために、私は右耳を母の口元にほとんど密着させる。
今日の母はほとんど喋らない。開いてしまった口は別人のように口角が下がり、うつろに宙を凝視するだけの眼をした母は、もう完全に、「ここには居ない」という風情だ。
「今みたいな時も、頭では何か考えてるの?」と訊いてみると、母はゆっくりとした瞬きをする。瞬きがゆっくりの時は、「NO」ということだ。「YES」の時は、素早く瞬きをする。
どんなに表情が固まっていても、人の声は聞こえるし、言っていることは理解している。しばらくすると両眼を閉じてしまい、口はますます大きく開いていく。
数年前に母と逢ったきりの人が今の母の顔を見たら、絶対に誰だかわからない。鈴のような声でコロコロと笑い、紅色のシクラメンの口紅が似合う茶目っ気のあった母だとは。真黒な髪に毎月パーマをかけ、派手な刺繍やスパンコールのついた綺麗なアンサンブルを纏い、コーラスに出かけていた母だとは。
それなのにふと眼を開くと、私の息子の名前を口にする。母は、息子の様子を心配しているのだ。嘘でもほんとでもないことを、適当に伝えておく。「まあまあね。なかなか難しいわよね」とかそういうことだ。
「でも、お正月には来るわよ」と私が言うと、一瞬母の眼がパッと見開いて、「一緒に?」と訊ねる。「うん、一緒に来るよ」と答える。
まさかこの病院で三度目のお正月を迎えるとは、正直思っていなかった。
(※当時のブログには、母の顔のデッサン画像を掲載していた)
2010年12月末の母のこの顔に、私は泪したりはしない。変わり果てた母のこの表情を、私はただ、頭の奥底のほうに、きっちりと焼きつけるだけだ。
哀しいとか淋しいとか、そういう感情とは違う。これはこれとして、母の人生の最後のほうの1ページを飾る画像として、私は深く、胸に刻み込むだけだ。
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