こうして私は捻くれたという話
時は小学四年生。
当時の私の学校では腰に服を巻くファッションが流行っていた。
正直それがカッコいいともダサいとも思わなかった。
でも、暑くて脱いだ服を腰に巻いとけば手に持つ必要もなく、ランドセルに無理矢理詰める必要もないので画期的だなと当時の私は思ったのだ。
早速実践した矢先、悲劇が起こったのだ。
担任の先生が私を指さして、こういうのカッコいいと思ってやってるのかも知れないけどカッコ悪いからねと言い放ったのだ。
素直でピュアな私は画期的だと思ったけど良くないことなら辞めようとすぐに辞めた。
しかし、時がたっても腰に服を巻くファッションをしてる奴はいたし、そいつらを注意している所を見たことがない。
ここでふとこんな考えが私の頭を巡った。
そもそも、私以外の人が先にやっていたのだから注意するならいくらでもタイミングはあったはず。
私がクラスのリーダー的存在なら私がやったタイミングで注意をすることは結果として全体を注意することに繋がっただろう。
しかし、私は純粋無垢でシャイなだけの小学生。
そんな私がやったタイミングで私だけに注意をしたということは、アイツは私のことが嫌いで注意という名のいびりをしてきたんではないのかということだ。
嫌いでなかった場合は、虫の居所が悪い日でおとなしい私に八つ当たりしたとも考えられる。
どちらだったにせよ、なんて大人げない、腰に服を巻いている私なんかより相当ダサい人間じゃないかと思うと腹立たしくなった。
1度そういう考えが巡ってしまうと、どんどんアイツを嫌いになっていった。
この疑心を皮切りに、素直でピュアで純粋無垢な私の心は少しずつではあるが、捻くれていくことになる。
そして、当の本人はこんなことを言ったことなんて欠片も覚えていないだろう。
くだらないことではあるが腰に服を巻いている人を見ると思い出す。