知識にも披露するタイミングがあるんじゃという話
昨日の話とちょっとカブる話だけど
知識が必ずしも良い結果を生むとは限らない。
それはその知識を披露するタイミングだ。
雑学を披露する場が設けられたならその知識を披露しても特に問題はないだろうがそれ以外でのタイミングはシビアだ。
例えば片手で銃を撃つシーンのある映画を見たあと、そのシーンの話題で盛り上がってる相手に、実際片手で撃つなんてありえないよという発言は、水を差す以上の意味を持たない。
あとは専門家相手に自分の知ってる知識を先回りして答えたりとかね。
賢い人なら、知ってることでも、知らないフリをする気遣いも必要だ。
そのちょっとした気遣いの有無で、興味を惹ける正しい知識を持った賢人も、自分の知識をひけらかしたい自分の知識に酔ってる人に変わる。
こんな所ばっか見てると無知の方が良いんじゃねぇかなって勘違いしちゃう。
けど、知識は使い方と使い所さえ間違えなきゃ赤ん坊から老人になるまで使える武器になる。
楽しく愉快に生きていくために、程よく賢く、時には馬鹿のフリを出来るちょうど良い人間になりたいもんだな。
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