僕は生きたい

この世界が終わっても

この地球が滅んでも

それでも

僕は生きたい


この体が壊れても

命の電池が切れても

それでも

僕は生きたい


日々人は死に向かって

生きているとか

日々人は幸せに向かって

生きているとか

僕にとっては

どちらでも構わない


命の時間を

刻むことができれば

それでいいから

それだけでいいから


身を削られるほどの

辛く悲しいことが

起きたとしても

それでも

僕は生きよう


どんな絶望の淵に

立たされようとも

それでも

僕は生きよう


この先この身に

何が起きても

僕は死なない

僕は負けない

僕は生きたい


僕は生きる

今を生きる

生きていく

******************

昔々の詩を紐解くシリーズ~☆
もう少し昔シリーズは続きそうです(^∇^)笑


生きていれば本当に色んなことがあります。
それはもう数えきれないほど、多種多様な予測不可能のことが起こります。
その度に、心が折れて闇に飲み込まれて、周りが見えなくなって、心が壊れて、最終的に命を捨てようとします。

心を壊してまで頑張る価値のあることってどんなことなんだろうと考えることがあります。命の価値があやふやになるほど、頑張らなきゃいけないことってどんなことだろうと考えることがあります。
決まっていつも答えは見つかりません。家族のため、大切な人のためになら可能性はあるのかもしれないとぼんやり思うくらいです。

だいたい、心が壊れているときに正常な判断はできないです。正常じゃなくなっていることに気付けないこと自体が一番の問題だと思います。


この世に生まれて生きる理由は見つからなくても、死んではいけない理由は明確ではないでしょうか。
それは、悲しむ人がいるからです。望まない人がいるからです。
生きていて悲しませたとしても、頑張ればまた笑わせることができます。その悲しみを和らげることができます。生きていればどうとでもできます。

でも、死んでしまったら何もできません。
本当に何もできません。だから、悲しみが和らぐことは永遠にありません。悲しいことばかり永遠が存在しているように思えて、本当に悲しくなります。

生きているだけで今日も誰かを悲しませずに済んでいるのですから、それだけで価値があることだと思うのです。生きることを選び続けて、生きることに執着していきたいものです。


生きてさえいれば、何とでもできる。
生きてさえいれば、どうとでもやり直せる。
生きてさえいれば、毎日楽しむこともできる。
僕だけじゃない、あなたにも。


最後まで読んで頂き、ありがとうございました(*・ω・)


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?