小さな子供の大きな疑問が
そもそもなぜ私が形而上学に出会ったかというと、幼い頃の純粋な疑問からです。
幼稚園に入るか入らないかくらいの小さな頃から、
「自分はなぜ生まれてきたのか?」
「何のために生きているのか?」
不思議に感じていました。
ブランコに乗っていてもふと、何かする事があるのに思い出せない…
かくれんぼしていても、なぜこのタイミングで日本にいるのだろう??
そんな思いがずっとあったのです。
もちろん世の中を悲観していたわけでも、挫折を味わったわけでもありません。
この世界での人生がスタートしたばかりなのですから。
幼い子供の純粋な疑問です。
自分がなぜ生まれて来たのか、何をしに来たのか、知りたかった人は意外といらっしゃると思うのですが、いかがでしょうか?
周りの大人たちに なぜ??
と聞いても納得のいく答えは返ってきません。
大人たちも困ったと思います。
”大丈夫。人生はね、そのうちわかってくるわよ。”
そんな答えしかもらえませんでした。
ですので、大人たちの反応から、この手の質問はしてはいけないものと理解し、心に『自分は何のために生まれてきたのか』の疑問を秘めたまま人間生活を送ることになりました。
そんなわけで、学校にもあまり馴染めませんでした。
知りたいことはあるのに、全く違うことを学び、通知表を気にしながら生きている…
みんな何に必死なのかわからず、いろいろ違和感しかありませんでした。
何不自由ないはずなのに、心の中では虚無感と早く何者にならなくてはという焦燥感があり、次元の大きな溝のようなものに落ちてしまったような感覚がいつもありました。
クラスで楽しそうにしている友人がいつも遠くに感じていました。
子供なので、それを言葉で表現することもできず、何か違う方法を提案できるわけもなく、とりあえず登校拒否。
一見なんの問題もなく、普通に過ごしていたコが学校へ行かなくなったものですから、大人たちはもっと困ったと思います。
なんとなく諦めを感じつつ、
やりたい事も見つからず、
貴重な学生時代を本ばかり読んで、ぼーっと過ごしてしまいました。
本当にもったいない…。
ですが、出会いはちゃんとあるのですよね。
ある日ラジオから流れてきた
『聖なる予言』の単行本がでたよ。の案内。
“ペルーで古文書が発見される!”
この言葉がすごく気になり、本屋へ。
面白くて夢中で読みました。
冒険をしながら隠された叡智を発見し、体験を通して自分のものにし、人間として進化成長していく…
これこそ自分が求めていた世界。
本当にこんな世界があったなんて!!
準備ができたタイミングで偶然のように必要な人と出会い、叡智を一つ一つ体験し、習得していく。
自然の美しさとエネルギー
宇宙と進化
神秘体験
同じように、冒険と神秘、謎解きとスリルに夢中になって『聖なる予言』を読んだ方ならきっとわかってくれると思います。
いつか窮屈なここを脱出して、自分も叡智を得る旅に出たい。憧れていました。
そして、その後ついに出会うのです。その隠された世界に。
しかも日本で!
憧れていた世界がここにありました。