「異常体質」と書かれた過去がある。。。
私は、昔カルテに「異常体質」と書かれたことがある。
私が中学生のころである。当時の自分には、衝撃的なことだ。
病院に行って、カルテに朱色のハンコで「異常体質」と押された。
これは、現在でいう「アレルギー体質」のことだ。
中学2年のときに全身に蕁麻疹なるものが出て、親につれていかれた皮膚科の病院でカルテにハンコを押された。
当時の少年の私には、衝撃すぎることだった。「異常なんだ。。。」この単語のインパクトは強い。
まあ、自転車通学で雨にあたると手が腫れたり、体育の授業でバレーボールでレシーブすると腕が腫れたりしたので、肌が敏感なんだとは思っていたけど。。
それ以来、私はこの「体質」と付き合うことになったわけだ。とりあえず「抗ヒスタミン系」の薬をのんでいれば、大事にはならないので、普通といえば普通の生活を送っている。
現在は、「アレルギー」が一般的に使われたり、普通の人でも何らかのアレルギーを持つと言われる程になってきた。
現在は、病気にしても何らかのレッテルが張られる様になった様に思う。
「パニック症候群」「発達障害」という言葉も良く耳にする。
ただ、昔はそんなもんなかった。
環境も変わり注意しなくてはならないことも多くなってきていることもわかる。ただ、あまりに神経質になりすぎているところも感じてしまう。
確かに環境による人体への影響は大きいことは経験して理解している。
以前は転職時に、慣れない環境と会社の期待感の中、プレッシャーで病気になり投薬時に「アレルギー」と併発して入院した過去もある。
そのときは、「甲状腺機能亢進症」という病気で薬もホルモン系の強い薬ということもあり、体質によりたまたま合わなかった様だ。
現在は、ネットの発達やスマホをはじめ情報機器の発達が、精神的なものへの影響や直接健康への影響も及ぼすこともある様だ。
自分たちは、その中で生きていく。環境が変わっても生きていく。
先般のパンデミックの時もあらゆる情報の錯綜が起きたり、何かにつけ混乱する様な情報の渦に巻き込まれる。
情報を取捨選択することも大事だ。その時大事にしたいのは、「前提」が何かということだ。
今は「前提」が無かったことの様になり、「経過」や「結果」に目が行きすぎている。
そもそも「前提」が何かを理解しておかないと「結果」の意味がない。それを痛感する毎日である。
大事なことは、「決めるのは自分だ」。
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