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いじられキャラという犬に成り下がるな

いじられキャラ。

愛されキャラなんて言われている事も多いよね。
テレビでタレントや芸人が、そんなポジションで愛嬌良く振る舞っているのもよく見ます。

彼らが皆にいじってもらえてるのが羨ましく見えて、「自分もこうなれば、人気者になれるかなあ」なんて思っている人も多いかもしれない。

だけど、断言しよう。
こんなものになってはいけない。
こんなもんになったって人気者になどなれやしない。

いじられキャラは愛されキャラなんかじゃない。

ただのいじめられっ子です。

なったが最後、君の自尊心は地の底にまで落ち、一生周りに媚びへつらいお道化を行うしかない哀れな犬に成り下がります。

それになりたいのならお好きにどうぞだけど、
普通そんなの絶対に嫌でしょ?

なら、こんなもの絶対に目指すな。
自ら軍門に下ろうとするな。

いじられキャラなんて死んでもなるな。

この事について、ぼくの経験も交えてお話します。


自ら犬に成り下がった学生時代

コミュニケーションが苦手な人、とくに内向型だったりHSPや発達障害者は、人の顔色を伺いがち。
「輪の中で、自分にできる事をしなければ」と自らの立ち位置に右往左往して焦る事も多いと思う。

輪の中で常に中心に入れるようなリーダーシップはない。
皆の会話を盛り上げられるようなコミュニケーション力もない。

このままでは輪の中から外れてしまう、そう思いつめてますます皆の顔色を伺う日々。

だけどここで、あるポジションを見つけます。

ある日ドジやへマをやらかした時、それを見た皆が一斉に大笑い。
「お前ほんとバカだな~!」とツッコミを入れられ、それにまた皆が笑う。

皆に囲まれて「お前面白いな!」と笑ってもらえて、
リーダーからも「俺らのボケ担当!」なんて言ってもらえた。

こんな経験をしたらどうだろう?
嬉しくならない?
希望が湧いてこない?

普段自分の話をつまらなそうに聞く皆が、自分を邪険に扱う皆が、
自分の事で笑ってくれた。
自分を囲んで持ち上げてくれた。

コミュ障は嬉しくなっちゃうでしょ。

自分でも皆を盛り上げる事ができるんだ。
自分でも輪の中心に入れるんだ。

このポジション、いける!

「自分、いじられキャラやります!!」

こうして彼らは目をキラキラさせ、「いじられキャラ」を買って出る。
もっともっといじられて愛されキャラになる!人気者になる!と………

地獄の入り口だとは気づかずに。

はじめて輪の中心に立てた高揚感で気づけないんです。
自分が獲得したこの素敵なポジションは、いじられキャラでも愛されキャラでもない、
ただのおもちゃ・ピエロである事に。

ぼくも学生時代、いじられキャラを買って出た時がありました。

上記の経験で「天然w」とからかわれ、
自分にはボケる才能があるんだ!人を笑わせる力があるんだ!と勘違いした事がきっかけです。

そこからぼくは「天然キャラ」として振る舞い、お道化を行うようになりました。

テレビのお馬鹿タレントを参考にポジショニングを勉強し、
ゆるふわ~🤗天然~☺️なキャラ付けをし、
わざと珍回答やトンチンカンな発言をして、ボケをかましていきました。

すると、ぼくの周りには人が集まるようになりました。
一度も話した事がない子や他クラスの子までもが、ぼくの周りに寄ってきたんです。

「面白い~!」
「かわいい~!」

その言葉が誇らしく、もっと注目されるようにいじられキャラの磨きをかけていきました。

だけど、だんだんと違和感が生まれるようになりました。

「面白い~w」
「かわいい~w」

皆の笑いが侮蔑混じりになった気がしたんです。
「気のせいかな?」が「気のせいじゃなくね……?」に変わり悶々としてた矢先、ガチめなトーンで「おバカちゃん~w」と言われ、そこでピシッと脳が凍りつきました。

「あ、これ、……………………………
マズいやつだったんかな………」

「なっちゃいけないものだったんかな………………………」

哀れなぼくは、そこではじめて自分が
「いじめられっ子」である事に気づいた
んです。

そこからはもう完全に皆のおもちゃと化し、
何を言っても「おもしろい~wwww」と言われ、
何をやっても「かわいい~wwww」と笑われました。

真面目な話をしても「冗談~ww」と返され、まともに聞いてもらえなくなりました。

「こっち来て~」と言われて行くと、いきなり水鉄砲をかけられ
「かわいい~www」と連呼されたりもしました。

半分いじめだよね。

でも当時のぼくは、これは「いじり」だと思っていました。
自分のボケにツッコミを入れてもらってると思って、嬉しく感じていました。

うーん、ほんと、麻痺してたね…………

そうこうとへラへラしているうちに、だんだんとぼくの周りからは人がいなくなっていきました。

要するに飽きられた訳ね。

一部のグループからは、水鉄砲されたり前髪を切られて遊ばれたりがしばらく続いたけど、やがてそれもなくなり、
ぼくは進級と共にまたぼっちに逆戻りしました。

当時は「皆に構ってもらえなくなって寂しい」という思いと「これ以上馬鹿にされずに済んでよかった」という思いが複雑に絡み合ってましたが、
進学後やっと冷静に「あれはとてつもなく酷い事だった」と思えるようになり、激しい後悔に襲われました。

自分は、率先していじめられ役を買って出ていたのか。

そんな立場に自分を陥れ、甘んじていたのか。

なんという馬鹿な事をしたのか。

自分がやった行動は、自らの自尊心をドブに捨てる行為であり、
人がいじめられていい理由を作る行為であった
と。

いじめには発展しなかった事は不幸中の幸いだったと思います。
だけど最悪、いやほとんどは、本格的かつ壮絶ないじめに発展する。
ターゲットは自分だったかもしれないし、他の誰かだったかもしれない。

その場合ぼくが言う側かもしれない。
「面白い~w」と、無邪気に残酷に。

確実に起こるであろういじめの片棒を担いでいた事に、言いようのない恐怖を感じました。

いじられキャラなんて、百害あって一利なし。
なるものではない。させるものではない。そもそも「いじっていい」という考えそのものが無くなるべき。

いじられキャラなんてやめてくれ。
なる必要なんてどこにもない。

だけど何故、自分はそれに甘んじたのか。
何故、へラへラとやり過ごしたのか。
我慢したのか。

それは怖かったからです。


一度得たポジションを手放す事が怖かったから。
ぼっちに逆戻りする事が怖かったから。

自尊心が削られる事よりも、
注目される喜びの方がずっと大事だったから。

いじられる事を目指し、いじられ続けた結果、脳が麻痺しました。

自分の価値はいじられる事。
いじられなくなったら自分には価値がない。
いじられる事が、自分の喜びであり生きがい。

ここまでくると、もう自尊心なんてない。
皆のおもちゃとしてピエロとして、サンドバッグにされ笑われ続ける人生。

ぼくはその一歩手前までいっていたのです。


いじられキャラになんてなってはいけない

水ぶっかけられて髪切られて、「か~わい~いw」と嗤われる事のどこが愛されてんの?

進んでピエロに成り下がってんじゃねえよ。

当時のぼくに会ったら、そう言ってぶっ飛ばす。

何がいじられキャラだ。

何が愛されキャラだ。

そんなもんを公共の電波で垂れ流すな。

そんなもんに感銘を受けるな。

そんなもんになろうとするな。

自分を殺す軍門に、自ら下る必要なんてどこにもない。

いじられキャラになったって君の価値は上がらない。
ならなかったからって君の価値は下がらない。

君が輪の中で疎外感を感じ、
いじられキャラかぼっちになるかの選択しかなかったら、
絶対にぼっちの方を選んでほしい。

君がいじられるように仕向けたり、いじられる姿を見て笑う奴らは、友達じゃない。

そいつらは君を愛してなどくれない。

君が愛されるべき連中じゃない。

自分を殺すな。

誰かを殺すな。

いじられキャラなんてクソくらえ。


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