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しあわせは じぶんで つくるもの

みんな仲よく
くらせ
しあわせは
じぶんで
つくるもの
これまで
ありがとう

7月30日(金)午前8時14分、父が他界しました。
享年75歳。小さい頃から憎たらしくて憎たらしくてたまらなかった父が、ようやくこの世を去りました。

教育は鉄拳。説教は3時間。怒鳴り散らす、威張り散らす。
そんな父もこの数年は、ケガと病気のオンパレードでした。事あるごとに救急隊に呼び出され、その度に病院に駆け込む日々。連休中に毎日呼び出されることも。もう迷惑極まりない。
ようやく、と書いたのは、お医者さまから「もう命が危ない」とさんざん言われ続けてきたせいです。胃から3リットル出血しても死なない。内臓がもうもたないと言われても一週間で回復する。胃がんになっても完治。首も腰も手術を何回しただろう。肩も膝も人工関節。大腿骨も骨折した。慢性白血病にも罹り、アルコール依存症の病院にも入院。全身ボロボロのはずなのに、しばらくするとケロッとして焼酎を飲む日常に戻る。

息を引き取った日も「危篤になったら2、3秒で意識を失いそのまま逝く」と伝えられていました。だから前日の7月29日に病院から連絡をもらったときは、死に目には会えないな、とそう思っていたんです。
車で病院に向かう道中、ラジオからアンチェインド・メロディ。
“Are you still mine? I need your love. (あなたはまだ私のもの?あなたの愛が必要です。)”
脳内では父の記憶がスローで再生。これが思い出ソングになるのか。それも悪くないかもな。なんて少ししんみりしながら病院に到着。
それなのに、病室に入ったら両手の親指を立ててお出迎え。さらにその後も3度あった危機を乗り越えて、生き返ってくるんです。その都度、目を見開いて「俺は元気だ!」と主張してくる。時代劇のコメディでよくある、斬られても斬られてもなかなか死なない。そんなコントを見せられているかのようでした。
それでもゾンビな父にも、最期の時間がやってきます。子どもたち(私と兄妹)、弟(私の叔父)に囲まれて、安らかに息を引き取りました。粘ってくれたおかげで、たっぷりとお別れも言えました。冒頭のテキストは、最期の時間に父と筆談でやりとりしたものです。「しあわせは じぶんで つくるもの」は、とても父らしい言葉だなあと胸に残りました。

父はとても強い人だったんですよね。会社の理不尽なことには、仲間の血判を集めて経営者に叩きつける。許せないことには、拳を使ってでも戦う。よく街中でケンカをしていました。日本刀の男と戦ったこともあるのだとか。
行動力も底抜けでした。40代のころ、もっと地元に根付いた生き方をしたいと『幸手和太鼓保存会』を立ち上げます。約30年後の今は、地元のお祭りには欠かせない団体に成長。太鼓の会は少年少女の育成の場でもあり、卒業生や親御さんからは慕われていたようです。あんなにすばらしい教育者はいないと、涙を流しながら弔意を伝えてくださる方が多くいらっしゃいました。

父がほんとにすばらしい人だったかはさて置いて、この強さと行動力は、悔しいけどすごい。まさに「しあわせは じぶんで つくるもの」を実践した生き方。認めたくないけど、敵いません。まあ、死ぬまでには絶対追いつきますけど。

出棺の際は、愛し愛される太鼓のメンバーの力強い演奏に見送られ、荼毘に付されていきました。幸せ者ですね。子どもとしては、やり切ったので一つも悔いがありません。

最後に兄に感謝を。往復250キロもあるのに、いつも父の看病をしてくれました。おかげでぼくの家族は生活が守られ、仕事にも集中できました。ありがとう。来年から正月は兄ちゃんに会いに行くよ。

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