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パンセ 7
わたしの使っている『パンセ』は白泉社、由木康訳になります。
以下、本文の引用に入ります。
理知のそこなわれることのあるように、直観のそこなわれることもある。
理知と直感とは会話によってやしなわれ、理知お直観とは会話によってそこなわれる。このように、よい会話や悪い会話は、それらをやしなったり損なったりする。だから、それらをそこなわずにうやっていくには、えらぶことをわきまえなければならない。ところで、理知と直感とがすでにやしなわれてそこなわれずにいるのでなければ、この選択をすることができない。したがって、このことは循環する。そのなかからのがれでる人はしあわせである。
上記の循環は「皮肉」にさえも聞こえてくる。
「理知」と「直感」を一定程度そなえていなければ、当時の上流階級における「知的サロン」では、悪しき存在感を自ら露呈するだけである…と述べている箇所にも読める。
パスカルは、当時の「サロン」で、どんな会話をしていたのだろうか?
興味は尽きない。
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