本に憑りつかれて▶Yuning
ああ、このnoteに投稿するようになってから、もう何本、中山可穂さんの本に関する記事を書かせてもらっただろう――。
見返せば、投稿数の半分近くを、私は一人の作家に割いている。それもそのはずで、ここ半年ばかり、私はほぼ中山可穂さんの本しか読んでないのである。そんな馬鹿な…!と自分でも驚く。
活字と漫画をほどよく交互に摂取し、幻想文学から実用書までまんべんなく手を出し、雑食であることをモットーに本とは付き合ってきたのに、なんと18冊ぶっ続けに中山可穂さんの本(小説16作品、エッセイ2作品)を貪り読んでいる。もはや憑りつかれてしまったとしか思えない。
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私が、彼女の作品以上に、彼女の生きざまに感情移入してしまっていることは、以前の投稿ですでに書いた。
あくまで個人的観点だが、中山氏は「幅の狭い作家」である。言うなれば、彼女は「自分のことしか書けない」のである。デビュー作の『猫背の王子』と新人賞を取った『天使の骨』は、いずれも劇団を主宰していた氏の体験を色濃く反映したものだし、出世作となった『感情教育』や山本周五郎賞受賞作である『白い薔薇の淵まで』は、まさにその時進行していた大恋愛(同性愛者である氏が既婚子持ち女性を口説き落として一緒になったという非現実的なほどのドラマチックさ)をリアルに写し取ったものだ。
しかし、恋はやがて破れ、たった1年の同居で恋人は彼女のもとを去る。あとがきやエッセイから窺い知る限り、その時中山氏はすでに40歳を過ぎていた。いっぱしの作家になったはいいが、創作の源泉となっていた「己の中にある感情の井戸」はすでに涸れつつあり、そこから氏の悪戦苦闘が始まる。古典に手を出し、ミステリーに挑み、ノワールや冒険小説を書いて、何としてでも「レズビアン作家」の肩書を返上しようと努力を重ねる。
写真の『ゼロ・アワー』は、その努力の中で創られた作品の一つだ。装丁がかっこいいので、個人的には気に入っている。内容は殺し屋を主人公としたノワール小説なのだが、残念ながら、氏の硬質にして美麗な文体はあまりその手のジャンルに馴染まないと言わざるを得ない。というより、可穂さんはまったく架空の人物を作り出すことが得手ではないのだ。だから、新しい読者には「初めての作家さんだけど面白かったです!」とまずまず高評価だったりもするが、昔の中山可穂作品を知るファンには、「もう以前の、あの読むだけで体力を持っていかれるような恋愛小説は読めないのだろうか…」と寂しがられることになった。気持ちはよくわかる。
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私は、作家になろうと本気で思ったことはないが、アマチュア小説サイトにのんびり投稿している身としては、「作家の人生」というものに興味は尽きない。そこへ、常に自身を剥き出しにして作品を創り、あとがきやエッセイで「そこまで開陳しなくてもいいんじゃない?」というぐらい赤裸々に人生をさらけ出している中山可穂という作家にはまってしまったのである。
…もう一つ告白するならば、私は中山可穂作品を勧めてくれたチャット友達にもはまってしまい、私たちは奇妙なシンクロ状態に陥って、語っても語ってもまだ語り足りないように感じられて、昼も夜もなくチャットしていた時期があった。しかし、そんな過剰にして不自然な感情的流量が長続きするはずはない。同性である以外は何もかも対照的な人生を歩んできたその人と、最初は違うことが新鮮だったのに、やがては違うことがどんどん苦しくなって話すことがしんどくなり、「…私は顔も知らん人と何をしてるんだ?」と我に返ってチャットをやめた。
だから、やっぱり何かに憑りつかれていたのだ。
本にも、それを持って来る人にも、そんな魔力がある。
…え、信じられないですか?
そんな経験ないよという方、読書会でお待ちしてまーす♪
【投稿者】Yuning
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