04 サボテンの花
1.プロローグ 悠佑の憂鬱
悠佑は、大阪のタワーマンションの一室で一人静かに窓の外を見つめていた。すでに若くはない、しかも未だに独身。東京生まれの彼は大学を卒業してから上場企業に就職し、現在もその企業で働いている。しかし、肩書とは裏腹に、心の中にはいつも重い陰が垂れ込めていた。
大阪の職場では、東京出身であるがゆえに、同僚たちから微妙な距離感を感じていた。大阪弁に馴染めない悠佑は、しばしばその言葉の壁に阻まれ、無意識のうちに孤立していった。東京への転勤願いを出しているが、会社は少しも取り合ってくれる様子がなかった。担当は庶務の仕事にまわされた。裏方の、取り立てて成果の出ない仕事内容だった。仕事場では、上司や同僚からのいじめや冷たい視線を浴びることが日常となり、歳を重ねるごとにそのストレスは増していった。
「このままでは、心も体も持たないかもしれない。この状態で定年まで…とても耐えられそうにない。」
そんな思いが、彼の胸を何度もよぎるようになった。それでも、大阪のタワーマンションでの私生活はある程度満足していた。高層階から見える夜景や、充実した設備に囲まれた生活は、少しだけ彼の心を慰めてくれた。しかし、恋人も妻もいない孤独な生活は、彼の心に深い空虚感を残していた。
「なぜ、自分は女性に縁がないのだろう?」
風呂上り、鏡に映る自分の姿を見つめ、悠佑はその理由を考えた。彼の目には、腹部にたまった脂肪がユーモラスに映し出されていた。「これでは、モテるわけがない。」そう悟った瞬間、悠佑は健康道場への入所を決意した。
2. 健康道場
悠佑はお盆休みを延長して2週間の休みを取り、健康道場の門をくぐった。
レンタカーを借りて大阪市内から車を走らせ、明石大橋を渡ると淡路島だった。健康道場は島の東側にあり、前に播磨灘が見える漁村の丘の上にあった。淡路島にあるこの道場は、心身の健康を取り戻すために設計された特別な場所だった。広々とした敷地と自然豊かな環境が、彼の重い心を軽くしてくれた。悠佑は昨日まで摩天楼の下で働いていた自分が嘘のようだと思った。
悠佑がこの道場に来る決心をした背景には、いくつかの理由があった。
まず、彼は食べることが何よりも好きだった。居酒屋や下町で、一人で飲み食いする時間こそが、自由で、孤独を忘れる、彼にとって最高の幸せな時だった。そのため、過去に何度もダイエットを試みたものの、孤独を軽減してくれる食の誘惑に勝てず、成功した試しがなかった。
悠佑の父は大手企業の営業本部長をしていたが、58歳の時に脳梗塞で倒れ、そのままベッドの人となり病院で5年、家に帰って3年、母に看護されて死んだ。父が倒れると会社からひっきりなしに見舞客が訪れた。しかし、2カ月経つと誰も来なくなり、会社から退職勧告書が届いた。父の昏倒は家族の生活を一変させることになった。悠佑は父の倒れた58歳がトラウマになっていた。自分は父の過ちを再び繰り返したくない、と悠佑は心に誓った。
悠佑は父の轍を踏まないため運動の習慣をつけた。スポーツクラブに入り、走ったり泳いだり、ほぼ毎日トライしていた。ところが、飲み食いした後にラーメンを食べるようになってから確実に太ってきた。
90キロになると、夜の小水に何度も起きた。鼾をかき、呼吸が止まっているようだった。昼間は眠くなることがあって、疲れやすくなった。寒いのに寝汗をびっしょりと掻くことが続いた。それから、ストレスのためか就寝中に歯ぎしりをやって、生まれつき丈夫な歯は、すっかりすり減ってしまった。胸が苦しく、かきむしられるような思いで目を覚ますことがたびたびあった。さすがに、これ以上太ると本当にやばいことになりそうだ。かといってダイエットには成功したことがなかった。
そんな折、気を引いたのが、同期入社の友人の誠の存在だった。誠は数年前に健康道場に行き、ダイエットに成功していた。彼の健康的で引き締まった姿を見て、悠佑も変わりたいと強く思うようになった。誠からは「淡路島の健康道場は本当に効果があるから、一度試してみるといいよ」と勧められていた。
誠の勧めと、自分自身の変わりたいという強い願望が重なり、悠佑は健康道場への入所を決意した。
健康道場は、国内唯一の公的な医学的断食の専門施設として知られていた。入所初日、悠佑は道場長でもある山田医師の面談を受けた。山田医師は、彼の健康状態を確認し、断食期間中のプランについてゆっくりと説明した。
「まずはファースティング(断食)のプランについてお話ししましょう」と山田医師は話し始めた。「完全な絶食ではなく、低カロリーのビタミン剤入りドリンクを1日3回、水分は2リットル以上摂取していただきます。この方法で、血糖値の変動を抑え、体脂肪の燃焼を促進します。」
悠佑は説明を聞きながら、これまでのダイエットとは全く異なるアプローチに期待を抱いた。
「ここでは心を空っぽにしてください。そうすると見えてくるものがあるかもしれないので。」
山田医師は、細い針金のような、不思議な声質で話す人だった。なにか仙人のようなオーラを放っていた。医者といえば医者らしい人であったが、自分のやっていることに自信や確信がある話ぶりだった。退所した人からのたくさんの感謝の便りを持ち、そのことが、医師の仕事の確信と自信につながっているようだ、と悠佑には感じた。
道場での生活は規則正しく、毎朝6時に起床して自己管理の一環として体重、血圧、脈拍、体温を測定することを義務付けられた。朝食後には道場長の回診があり、さらに看護士による健康チェックが1日3回行われた。
「ここでは、食べ物のことを考える時間が減ることで、ストレスや悩みからも解放されます…そのため、激しい運動や浴槽に浸かることは禁じられています。」
悠佑は、太極拳や丹田呼吸法、心理療法のセッションなど、心身のバランスを整えるためのプログラムにも参加した。また、自由時間には海の見える中庭を散歩し、リラックスするように努めた。
1日2リットルの水分補給を必ず摂取することを義務付けられた。もちろん酒、たばこは厳禁、もし破ったら即退所を求められるという話だった。水を2リットルも呑むとお腹がちゃぷちゃぷと鳴った。この水分補給は結構に苦しかった。水やお茶ばかり飲めるものではない。しかし、お腹は水で満たされたせいか意外にも空腹感はなかった。
山田医師によるミニ講義を受けた。その内容は、『なぜ人は不健康になるのか?』、そして『どうすればそれを防ぐことができるか?』というテーマについてだった。悠佑は、講義の中で気になった点をノートに書き留めた。
人間の体は、約75兆個もの膨大な数の細胞で構成されている。それらは自律神経によって自動的にコントロールされている。人は意識することなく、呼吸や消化、排泄、内臓の活動、そして代謝といった機能をこなしている。これらがスムーズに行われるのは、自律神経が正常に働いているからだ。
しかし、過剰なストレスが続くと、ストレス解消のために過食や喫煙といった過剰な行動を取るようになり、それが習慣化することで自律神経が乱れ、さまざまな病気が現れるようになる。
特に、過食や過飲によって引き起こされる肥満は、さまざまな病気の原因となる。人類は長い歴史の中で飢餓に苦しんできた。体は飢えに耐えるように進化している。しかし、飽食や肥満が常態化した現代においては、生活習慣病が増加している。
ストレスは『他人の山』を登ることで生じる。他人の期待や基準に沿って生きるのをやめ、自分のペースで、自分自身の『山』を登ることができるようになると、過剰なストレスが減り、健康を維持できるようになる。
以上が講義の内容だった。」悠佑はしばし考え込んだ。
つまるところ問題なのは他人の山を登ることにあった。他人の山とは自分の本意でない働きかたや生き方といえよう。自分の山を登るとは、自分の価値観に基づく働き方や生き方をすることだと言えようか。会社勤めで、いやいや仕事をしている人は他人の山を登っていることになる。納得して始めた商売でも、嫌な客を相手にしなければならないと思ったら途端に他人の山になってしまうのではないか。お金や地位や優越を過剰に求めるのも、反動でストレスが発生してよくないだろう。
悠佑は、これは難しいと思った…何にしても何事にも厳格に対応するとストレスは発生する。肩の力を抜いて、何事もあまり気にせず、いい加減に生きることこそがストレスをなくす方法に思えた。つまるところ、ストレスの根本は執着する心にあるのではないかと悠佑は考えた。
山田医師は、ここではゆったりとして何も考えないでいて下さい、といってくれたが、ここのスケジュールは結構に忙しかった。14日間いたが、朝夕に体を測定して渡された紙に記録することを義務付けられた。1日1回の回診と、朝昼晩の看護師のチェックがあったので、その間は部屋にいなくてはならなかった。また性格分析診断やカウンセリング、ヨガ教室や朝の太極拳など、全部参加していると結構に忙しい。はじめは興味本位で参加していたが、3日も経つと悠佑は必要なこと以外は参加しなくなった。
痩せることを目的にいったので、朝は暗いうちに起きて外を歩いて下の町まで行って帰ってきていた。外出禁止だったので見つかると退出させられると思うとちょっとしたスリルを感じた。ジョギングは悠佑の習慣の一つだった。また部屋では筋トレをやっていた。ところが入所5日目だった、朝から体全体が鉛のように重くなった。食堂に行くまでの階段の上り降りが大変に辛くなった。心臓の鼓動が早く打っているのがモロに分かった。これはオカシイという感じであった。身体はだるく横になっても落ち着かない。体温と脈が上昇していた。山田医師に診てもらった。牛乳とビスケットを出してくれた。マリの不味いビスケットだった。食欲自体がなくなっていた。悠佑は原因がわかっていた。朝の歩きと部屋での筋トレが問題だった。この日から歩きと筋トレをやめた。舐めたことをするとロクなことにならないことを悠佑は知った。
入所10日目から復食期に入り、三分粥になった。茄子とパブリカの蒸したもの。ドレッシングがかかった千切りのキャベツがついた。どれも塩味がないため美味しく感じなかった。塩気を抜かれると全くに力が出ないことを知った。しかしこの日から体が噓のように爽快になった。このように爽やかな気分になれたことは久しくなかった。何か体の芯からのスコンとした爽快感だった。昨日までの体調不良が嘘のようだった。ああ~これだけでここに高いお金を払ってきたかいがあった、と悠佑は思った。
3.彼女との偶然の出会い
入所者は女性が多かった。なかには激やせしている女性も見かけた。この施設は心の問題で摂食障害のある人を対象としていたので、施設利用者は肥満者だけではなかった。悠佑は心の問題で人は太ったり痩せたりするのが不思議に思った。
道場には多くの入所者がいた。そのうち7割近くが女性で男性は少ない。県の施設であることから地元の女学生も何人かいた。彼らは皆、心身の健康美を取り戻すために同じ志を持ってここに集まっていた。
ある日、復食期に入った悠佑は食事療法の一環として提供される地元淡路産の食材を使った健康的な食事を摂っていた。隣のテーブルに座っていた男性が話しかけてきた。「初めてですか?ここ、なかなか厳しいけど効果はありますよ。」彼はこの道場で何回も断食を経験しているベテランで、道場生活のコツや成功体験を教えてくれた。「最初はきついけど、次第に体が慣れてくるし、断食が終わった後の復食期間が大事なんです。」
その初老の人は明石でテイラーの店を営んでいると話した。明石のテイラーは背が高く痩せていた。テイラーは話した。
「若い時は銀座の老舗店で一生懸命に修業をした、それから明石に帰り、お店を構え、結構にお店を流行らせたんだよ、本当はもう何も心配することはないんだ。お店がだんだんと暇になって、お酒をたしなむようになってね、だんだんと酒量が増えてきたんだ。近所の医者にかかると、γ-GTPが500近くあって、このままじゃ死にますよ、と脅されたの。それで、ここを紹介されて来るようになったの。ここで10日ほど居ると不思議に血糖値もγ-GTPも正常になるの。だけど帰ったらまたお酒を呑む。お酒はやめようと思うのだけど、夜、飲むと、朝、頭痛がするんでね。それで少しお酒をいれると頭痛がすっとなくなるの。それで結局四六時中お酒がぬけない。」
明石のテイラーは、少し自重した笑いを顔に浮かべながら、「まあ、もういつ死んでもいいんだけどね。」と話した。悠佑は、この人にユーモアを感じ、この人のように自分も達観できるようになれたらいいのにと思った。
ある日、悠佑は道場の広場でときめきを感じた。そこには、大学時代に同棲していた左季がいたのだ。彼女もまた、健康を取り戻すためにこの道場に来ていたのだ。
「こんなところで再会するなんて、何という運命の悪戯か!」悠佑は驚きとともに、再会の喜びともつかない複雑な気持ちにバツの悪い思いさえ覚えた。
左季との再会を機に、悠佑は過去の出来事や彼女との思い出を振り返り始めた。彼女が突然部屋を出て行った理由についても、改めて考え直すことになった。二人はお互いの現在の状況や心の内を話し合い、過去の未解決の問題に向き合うこととなった。
4.過去の回想から
悠佑は20年前の記憶に思いを馳せた。当時、彼は左季と同棲生活を続けながら、ミュージシャンを目指していた。そんなことは今の悠佑の姿からすると想像すらできないことだった。
二人が出会ったのは大学時代だった。音楽サークルで一緒に活動し、お互いに引かれ合うようになった。左季の明るい笑顔と、音楽に対する真摯な姿勢に悠佑は心を奪われた。共に暮らし始めると、毎日が新鮮で夢のように感じた。左季の作るちょっとした手料理はいつも美味しく、悠佑は彼女が意外にも家庭的であることに感心してしまった。
悠佑は音楽活動に情熱を燃やし、大学仲間4人とバンドを組んであちこちに出かけるようになった。左季もそんな彼を支え、自分の夢を追いかける姿に共感していた。
卒業の年、悠佑は留年して音楽活動を続けた。左季は就職して勤めるようになった。だんだんと二人の間には、微妙な心のすれ違いが生じてきた。夢を追うことで現実の生活に目を向けられなくなり、些細なことで言い争うことが増えていった。悠佑は自分が音楽で成功することが左季を幸せにすることだと思って頑張っているつもりだった。
ある夜、悠佑がライブ演奏から帰ってくると、左季が不機嫌な顔で意見を言った。
「悠佑、もしも私に子供ができたら、どうするの?」
しかし、悠佑は左季の問いに真剣に答えず、軽く流してしまった。左季はその態度に傷つき、言い争いが始まった。我慢していた不満の感情が高ぶり、言葉の刃が互いの心を突き刺した。
「悠佑はいつも自分のことしか考えていない!私の気持ちなんて全然わかっていない!」左季の瞳には涙が光っていた。
「そんなことない!俺は音楽をものにしたいと思ってんだよ!君のためにも!!」悠佑も感情を抑えきれずに声を荒げ、左季の作ってくれたチャーハンを叩き飛ばした。
その瞬間、左季は何も言わずに荷物をまとめ、部屋を飛び出していった。悠佑は呆然と立ち尽くし、何が起こったのか理解できなかった。二人の若い愛の生活は、その夜を境に破綻してしまった。
悠佑は左季を愛していた。しかし、若さゆえの自分本位な考え方が、二人の関係を壊してしまったのだと今になって痛感する。あの時もっと彼女の気持ちに寄り添い、真剣に話し合っていれば、二人の未来は違っていたかもしれない。
悠佑は左季を追わなかった。何て、冷たい仕打ちだったろうか。あのころの自分は、自分の音楽活動に壁を感じ始めていた。その年の夏に父親が倒れ、実家の家計も苦しくなった。大学まで出してもらって、今後は自分が自立して親を助ける立場になるときだった。次の年に悠佑は卒業し、就職した。音楽はあきらめた。
悠佑は健康道場の静かな夜空を見上げながら、自分の過去を悔やんだ。そして、左季に対する未練と後悔の念が、心の奥底に深く刻まれていることを改めて感じた。あの時、左季を追わず、何かを信じ、何かを見つけて生きてゆくことを誓った筈だった。しかし、何もなかった…会社では疎んじられ、私生活では肥満になりかけていた。
5.対話と気付き
「子供ができたらどうするの?」20年前、左季が投げかけたこの一言が、二人の関係を決定的に変えた。悠佑はその時、音楽活動もうまくいかず、将来に迷っていた。そして、左季の問いに真剣に向き合うことができなかった。
「あの時、どうして真剣に答えなかったんだろう…」悠佑は中庭のベンチに座り、遠い過去の記憶に思いを馳せていた。
「悠佑?」突然、声をかけられて振り向くと、そこには左季が立っていた。驚いた表情の彼女が、そのままベンチに腰を下ろす。
「左季…?本当に君なのか?」悠佑の声が震えた。
二人とも二十代のころの若さはなかったが、まだ昔の面影は残していた。
「悠佑!まさかここで会うなんて思わなかった。」左季も驚きを隠せない様子だった。
二人はしばらく無言で向き合っていたが、やがて左季が話し始めた。「ねえ、悠佑。おぼえている?あの時、私が『子供ができたらどうするの?』って聞いた時のこと。」
悠佑はうなずいた。「おぼえているよ。あの時、僕は自分のことで精一杯で、君の気持ちに答える余裕がなかった。君が不安を感じていることにも気付かずに…本当にごめん。」
左季は少し微笑んだ。「もういいの。あれからずいぶん時間が経ったし、私も色々と変わったわ。今は結婚して子供もいる。でも…」
左季はため息をついた。「わたし、キッチンドリンカーになってしまってね。夫と子供が心配して、この施設を手配してくれたの。自分でもどうしてお酒に溺れるようになったのか、わからないのよ。」
悠佑は驚いた。「左季、君がそんな風になるなんて…。」そのあと、左季のながい独白が続いた。
「20年前の悠佑と一緒に未来を語り合いながら過ごしていた日々が懐かしいわ。あの頃は、何もかもが新鮮で、愛の力だけで全てがうまくいくと信じていた。でも、時を重ねるとだんだんと思っている現実とは違ってきたの。籍も入っていなかったし、あなたはだんだんとアパートに帰ってこなくなったわ。悠佑の顔をみるとだんだんと陰って不機嫌そうにみえたの。私まで憂鬱になって、私は先が不安になったの…悠佑と別れてから、親戚の紹介で結婚した。夫は優しい人で、子供も授かった。けれども、夫の転勤が決まり、単身赴任生活が始まってから、私の心には少しずつ陰りが差し始めた。夫がいない家で、子供と二人だけの生活。夫のいない夜が続き、私は次第にキッチンで一人酒を飲むようになった。最初はほんの一杯だけだった。それが少しずつ増えて、気が付いたら毎晩のようにキッチンでグラスを傾けていたの。子供が寝静まった後、夫が遠くの地で仕事をしている間の静かな時間に、私は一人キッチンに立っている。冷蔵庫にあるものを片っ端から食べて飲むと、その間だけは寂しさを忘れて少しだけ幸せになることができたの。ところが、日を経るごとに太ってきたの。わたし、体は健康なの、だけど心がいつの間にか病んでいたのネ。飲んでいるうちに、なぜこんな風になってしまったのか、本当に理由がわからなくなって…夫や子供たちは心配してくれて、この施設を手配してくれたけれど、私は本当に自分を変えることができるのか、不安で仕方がない。私には、何か、幸せのイメージのようなものがあって、それが私を私の人生に縛りつけているように思うの…悠佑は結婚したの、子供さんは?」
「僕は君と別れてから女性とは縁がないんだ。君と別れたあと就職して、今は大阪に住んでいるんだ。音楽をやって君と一緒に住んでいた頃がまるで夢のようだよ。」
「左季はいまでもサボテンが好きなの?僕はね、あれから部屋でずっとサボテンの花を育てているんだ。それが、ここへ来る前の日に久しぶりに花を咲かせたんだ。」
二人はその後も時間を忘れて話し続けた。過去の思い出と現状を共有することで、鬱結した感情の澱が消えゆくような新鮮な気持ちが芽生えた。そして、悠佑は、過去と決別して再び人生の道を歩むための一歩を踏み出したいと思った。
6.エピローグ
悠佑は健康道場を退所してからの日々が、以前とはまるで違うものに感じられた。毎朝、軽やかな足取りで近くの公園をジョギングすることから一日が始まる。かつては重く感じた体も、今では軽やかに動き、汗を流すことの爽快感を実感するようになった。風景も鮮やかに見える。緑の木々、青い空、そして心地よい風。すべてが新鮮で、生きているだけで感謝したい気持ちになった。
食事にも気を使うようになった。以前は好きなものを好きなだけ食べていたが、今ではバランスの取れた食事を心掛け、自制することができるようになった。大好きなラーメンは週に一回だけにした。スープも一口だけをしみじみと味わうだけにとどめた。毎日飲んでいた酒もやめた。その結果、体調も良くなり、何か体の垢がとれてように清々しい気持ちになることが多かった。
仕事にも変化が現れた。かつてはストレスに押しつぶされそうになりながら働いていたが、今では気負いなく向き合えるようになった。パッとしない現実は相変わらずだったが、自分は平凡なピエロでいいと、いい意味での諦めが生じた。何よりも、毎日仕事があることがありがたいと感じ、会社を辞める考えを見直すようになった。今の時代、定職に就いていること自体が恵まれていることだと理解し、いけるところまで勤める決意を固めた。
悠佑には甥がいた。サッカー少年の彼を、悠佑は我が子のように可愛がっていた。兄の家庭は子供が多く、教育費や家のローンで経済的に大変な状況だった。悠佑は、自分が入社以来買い続けていた自社株がかなりの資産になっていることに気づき、その資産の一部を甥の進学費用に充てることを申し出た。兄夫婦は驚き、そして感謝の気持ちで彼の申し出を受け入れてくれた。兄夫婦はいつも悠佑のことを気にかけてくれた。
悠佑はさらに、遺言で自分の遺産を甥に託したいと考えるようになった。自分には子供がいないが、甥の将来をサポートすることが自分の役目だと感じたのだ。甥が夢を追いかける姿を見守ることが、悠佑の新たな希望となった。
悠佑は前と明らかに自分が変わったように感じた。もう一人ではない。前と状況は何も変わっていない。しかし、考え方や見方をかえるだけで何もかも違って見えた。部屋のサボテンも夏になると毎年花を咲かせた。左季もあれから元気にやっているだろうか…もう会うことはないが、あの出会いは奇跡だと思った。
左季との偶然の出会いは、彼を過去の呪縛から解放し、平穏な日々への感謝の気持ちを醸成してくれた。悠佑は新しい人生の一歩を踏み出した。左季との再会を経て、彼は自分の心の持ち方がいかに日常を変えるかを実感した。未来への希望を胸に、悠佑は前向きに生きていくことを決意したのだった。風景は変わらないが、それを見る彼の目は確かに変わっていた。
正直に自分と向き合い、大切な人たちと心で繋がりながら、彼は新たな気持ちで毎日を歩いて行きたいと思った。