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1月の沖縄一人旅
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プロローグ
かなり前のことだが、一度も沖縄に行ったことがなかったので、思い切って訪問することにした。国内はほとんど旅したが、沖縄だけは未踏の地だった。そこで、お正月休みが明けた1月中旬に出発し、那覇の市街地に10日ほど滞在することに決めた。シーズンオフなら観光客も少なく、費用も抑えられると考えたからだ。滞在中はとにかく歩き回ることを計画した。
関空から沖縄へはピーチを利用した。このときの往復航空券は2万円だった。本当はもっと安かったが、一番前の座席を指定したため、少し高くなった。それでも2万円は十分に格安だった。ピーチの低価格は以前の個人旅行で何度か利用して知っていたが、沖縄行きは特に安いと感じた。
ところが、旅行の途中で気が変わり、予定を短縮することにした。その際、スマホからの予約変更がなかなかうまくいかず、イライラしたのを覚えている。さらに、搭乗ゲートが空港の端の分かりづらい場所にあり、出口が施錠されているなどのハプニングが続いた。格安なのはありがたいが、それ以上に落胆のほうが大きかった。いまは改善されているかもしれないが、それ以来ピーチには乗っていない。
那覇繁華街のビジネスホテルに連泊、その辺を歩き回る
宿は国際通り近くのビジネスホテルを予約したが、ここがなかなか良かった。部屋は簡素で狭かったものの、騒音もなく清潔で、嫌な臭いもしない。朝食付きで宿泊費は5,000円ほどとリーズナブルだった。特に、朝食のバイキングには沖縄の家庭料理が並んでおり、これが嬉しいポイントだった。何より、ホテルが国際通りに近いので、繁華街を歩き回るには最適な立地だった。
滞在中、天気はずっとどんよりと曇り、青空を見ることはなかった。どうやら沖縄の冬は曇りの日が多いらしい。街の雰囲気は、建物こそ古いが、どこか味わいがあって良い感じがした。どこへ行っても人が多く、活気を感じる。書店やラーメン屋もあり、思った以上に便利な街だった。
期待していた沖縄特有の赤瓦の家はほとんど見かけなかった。飛行機から市街地を見下ろしたときも、小さな積み木のような家々が並んでいるのが目に入った。街を歩いて一般住宅を観察すると、ほとんどが鉄筋コンクリート造りの四角い家だった。これは、戦後の大きな台風で多くの家が倒壊したことを受け、行政が特別低金利の融資を行い、鉄筋住宅への建て替えを促進した結果らしい。
繁華街の中心にはアーケードの市場のような商店街があり、その中をぶらぶらと歩いていると、焼酎専門店を見つけた。やたらとテンションの高い若い店主から焼酎を購入し、そのついでに地元料理を楽しめる安くて美味しい居酒屋を尋ねると、沖縄そばの店と割烹料理店を教えてくれた。彼がメモ帳に書いてくれた地図を頼りに訪れてみると、確かに満足のいく味だった。しかし、後日グーグルマップで調べてみると、その二軒ともすでに閉店していた。
ホテルの近くに気になる炉端焼きの店があり、試しに入ってみたところ、ここがすっかり気に入った。沖縄料理にこだわらず、ポピュラーな食材を手頃な価格で提供しており、気軽に利用できる雰囲気が良かった。以来、一日中歩き回ったあとは迷わずこの店に通うようになった。ただ、通ううちに気づいたのは、料理が出てくるまでに時間がかかることだった。常連客はそれを承知しているようで、誰も急かさず、気長に待っていた。自分も周囲の様子を観察しながら過ごす時間が心地よくなり、待たされるのも気にならなくなった。この店は今でも営業しているようで、グーグルマップで調べると「営業中」となっていた。
滞在の三日目か四日目、毎日この店に来ている初老の男と話をする機会があった。彼は元々本土のサラリーマンで、長年の沖縄勤務を経て、定年を機にそのまま移住したのだという。本土の家は別れた妻子に譲り、自分は沖縄に古い家を買って住んでいるそうだ。「沖縄はいいところだよ」と彼はしみじみと言った。この辺りには自分のような元サラリーマンが多いとも話していた。どんな点が「いいところ」なのか、詳しい内容はきけなかったが、とにかく住み心地が良いのだろう。何より冬でも暖かいし、賑やかでお店も一杯あって何でも揃う。沖縄に来て何か人の温かさのようなものを感じた。何かごっちゃな感じが自分を自然体にしてくれるように感じた。なぜか、彼が妻子と別れ沖縄に住むことになった理由がわかるような気がした。実際、沖縄は今でも人口が増えている数少ない県のひとつだ。彼のように本土から移住する人が多いのも納得できる気がした。北海道の景色は素晴らしいが、年を経ったらやはり気候が温暖なところがいいように思う。沖縄は真冬でも10℃を下回ることは滅多にないらしいのだ。年をとると暖かいほうが何かといいように思えた。
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観光バスで水族館に行く、ところが…
観光バスで水族館に行く、ところが三日もすると、ホテル周辺はすっかり歩き尽くした。だいたい那覇市内の様子が分かったように思えたので、観光バスに乗って水族館方面へ向かうことにした。ところが、バスに乗り込んでみると、乗客のほとんどが中国語を話している。最初はバスを乗り間違えたのかと戸惑ったが、確かにこれは日本の観光バスだった。その証拠に、バスガイドは日本語で観光案内をしていた。
後で知ったことだが、彼らは香港から出航する巨大なクルーズ船で沖縄にやって来た観光客だった。一度に何千人もの中国人観光客が到着し、沖縄の観光スポットを巡っているらしい。
「郷に入れば郷に従え」という気持ちで、私も中国人観光客の一員になったつもりで、ひと言も発さずに観光を楽しむことにした。車内は賑やかで、彼らは写真を撮りながら終始楽しそうにしていた。観光バスが目的地に着くまで、とうとう日本人らしき乗客を一人も見かけることはなかった。
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ひめゆりの塔、平和記念資料館を訪ねる
次の日は原付バイクを借りて、糸満の戦争跡を巡った。沖縄の市街地は建物が立ち並んでいたが、糸満へ向かう道は広々としており、鄙びた畑が続く。養豚の匂いが漂う景色に、どこかほっとした気持ちになる。見晴らしの良い高台に出ると、曇天の下、どんよりとしたグレーの海が静かに広がっていた。
1945年の春、この地はまさに地獄と化していた。ひめゆりの塔や平和記念資料館を訪れ、沖縄戦の戦跡を巡った。旧海軍司令部壕は、小高い丘の下に掘られた作戦本部で、内部は入り組んだ長いトンネルになっていた。暗く狭い部屋がいくつも並び、こんな場所で一日でも過ごすのは耐えがたいと感じた。
平和の礎を訪れた際には、思わず伯父の名前が刻まれていないか探し回った。放心したように、長い時間をかけて。しかし、よく考えれば、伯父はビルマで消息を絶ったのだから、ここに名があるはずがなかった。沖縄の悲劇、県民の悼み、そして戦火に散った女学生たち——この日は、深い哀悼の念に包まれた。
曇る海 ひめゆりの丘 佇めば 静かに響く 無言の叫び
トンネルの 闇に沈める 声なき声 この狭き壕に 未来はなくて
礎(いしじ)には 知らぬ名ばかり 刻まれし 叔父の名なくて なお胸痛む
糸満の 風にまぎれる 祈り声 今も沖縄(うちなー) 涙を抱く
春の日に 修羅場となりし この大地 戦(いくさ)知らぬ 我ただ立てり
豚の香(か)に 安らぐ心 ふとよぎる 兵らもかつて この道を行きし
刻まれし 名前のすべて 誰かの子 母の涙の 乾かぬままに
手を当てて 静かに読めば その名にも かつての笑みと 夢があったか
何もなき 丘の向こうに 広がれる この空だけが あの日と同じ
帰る道 戦の跡を 振り返る 胸の奥には 今も雨降る
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レンタカーを借りて、沖縄一周の旅に出かける
五日目になると、同じホテルに滞在するのにも飽きてきたので、レンタカーを借りて沖縄本島を一周することにした。
車を走らせると快適だった。広大なアメリカ空軍の基地を横目に見ながら、古宇利島まで向かう。島へ渡る橋は、まるで海上を這うように真っ直ぐに伸びていた。その風景の清涼感と美しさに、すぐに渡るのが惜しくなり、しばらく橋の袂で眺めていた。
島の海岸で休んでいると、単身、対岸から矢のようなスピードで疾走してくるウインドサーファーがいた。海上には強い風が吹き荒れているが、それをものともせず、軽やかに駆け抜けていく。この沖縄旅行で一番感心し、憧れを抱いたのは彼らだった。冬の沖縄はウインドサーフィンに最適なのか、あちこちでその雄姿を目にする。若者だけでなく、むしろ初老の、引き締まった黒豹のような男たちが目を引いた。どうやら彼らは本土からワンボックスカーでやって来て、寝泊まりしながらサーフィンを楽しんでいるらしい。
この日は、大宜味村のルート58沿いの海岸パーキングで車中泊をすることにした。途中で弁当と缶ビールを買い、車の中で飲み食いして眠る。水鳥の寝袋を持参していたので、寒さを感じることなく快適だった。夜中には激しい風が吹き、車が揺れるほどだったが、不思議と心地よく眠ることができた。沖縄に来て初めて、旅情に浸るような穏やかな気持ちになった。
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少年の輝きを持つ男とその妻
次の日は、朝一番に国頭村の森林トレッキングへ向かった。ヤンバルの森に分け入り、与那覇岳まで登りたかったが、途中で引き返し、園内を歩いて回った。亜熱帯の樹木が生い茂り、紀伊半島の雑木林とはまた違った趣があり、飽きることはなかった。村の家々は鉄骨造りの大きめの建物が多く、周囲を亜熱帯の植物に覆われ、バルコニーがあるなど、いかにも南国らしいゆったりとした雰囲気を漂わせていた。この村を包む自然は、私の中にある沖縄の原風景と重なり、すっかり気に入ってしまった。
それから沖縄本島最北端の辺戸岬へ向かった。そこはまさに辺境の地といった雰囲気で、強い風が吹きつけ、荒々しい波が絶壁の海岸に激突し、白い飛沫を上げていた。那覇の喧騒は遠く、太古から変わらぬ沖縄の大自然がそのまま息づいているようだった。
ここで、一組の夫婦を車に乗せることになった。二人は四十前後に見えた。男は竹野内豊並みの端正な顔立ちで、何より目が少年のように輝いていた。実は先ほどのパーキングでも彼らの姿に気づいていたが、どうやら乗せてもらう機会を狙っていたようだった。男は世界を旅してきたと言い、東海岸にある「沖縄かぐや姫」というロッジまで行きたいとのことだった。一人旅が好きな私としては、誰かを乗せるのは気が進まなかったが、頼まれると断れない性分だった。
東側へ回ると、さっきまでの強風が嘘のように止み、風景も穏やかに変わった。これがいつものことなのか、それともこの冬の一日が特別だったのかはわからないが、どこまでも牧歌的で心和む景色が広がっていた。
この日の午後は、二人と共に昼食をとり、観光施設を巡った。やがてロッジに到着すると、夫婦は「一緒に泊まらないか」と誘ってきた。しかし、ここで泊まると明日も一緒に行動することになりそうな予感がしたので、丁重に断った。
とはいえ、ロッジの中を少し見学させてもらうことにした。オープンなバルコニーからの眺めは素晴らしく、辺りはコーヒー園に囲まれていた。ゆるやかな丘陵に建つロッジから見渡す景色はどこか心を洗われるような美しさがあった。しかも、客は私たち以外に誰もいなかった。「しまった、ここに泊まるべきだった」と思った。次に沖縄を訪れるときは、ぜひこの「かぐや姫ロッジ」に泊まろうと心に決めた。
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持て余した白い身の魚
旅をするとき、宿はその日の昼頃に取るようにしていた。ネット予約の場合、この時間帯が最も安く泊まれることが多いように感じた。それに、宿を早く決めてしまうと、必ずそこまで行かなくてはならず、気ままな旅の楽しさが半減してしまう。ただ、宿が決まらないまま夕方を迎えると、妙に苛立つことがあった。結局、昼頃に宿を決めるのが習慣になっていた。
この日は、うるま市の市街地で宿を確保した。宿の主人に、地元の人が気軽に飲みに行く、よく流行っている居酒屋を教えてもらい、早速足を運んでみた。店内は確かに賑わっていた。
ふと、隣の席の初老の男が気になった。体格がよく、寡黙に酒を飲んでいる。その隣では、中年の男が熱心に話しかけていた。どうやら初老の男をマグロ漁船に誘っているらしい。「また乗らないか、いい金になるよ」と、しきりに勧誘している。しかし、初老の男は黙って杯を傾け、白い魚の刺身をつまんでいるだけだった。
私は、彼が食べているその白い魚が気になった。関西では見たことのない淡水魚のような見た目だった。興味が湧き、カウンターの板前に頼んでみると、一匹だけ残っているという。それがまた大きかった。刺身にしてもらったが、ひと口食べてみたが、独特の生臭さと癖のある味が口に広がる。正直、あまり好きではない。
途中で食べるのが嫌になり、思わず箸を止めてしまった。しかし、せっかくの料理を残すのは板前に申し訳ない。かといって、隣の人に「食べませんか?」と声をかけるわけにもいかず、なんともやり場のない気持ちになったのを覚えている。
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俵万智さんときいやま商店の「がんば」
翌日、なんとなく疲れてしまい、予定を短縮して帰ることにした。気が多く、あれこれと考えすぎるせいか、旅の途中で急に疲れてしまうことがある。いくつになってもこの癖は治らない。何事も最後までやり切りたいと思っているのに、振り返れば、結局途中で終えてしまうことが多かった。まあ、しかしこれも愛嬌、自分らしくていい。やめるのも自由、続けるのも自由。
関空の売店で、俵万智さんの『りんごの涙』を手に入れた。この旅の間に読んでいた本だ。四十過ぎのとき、万智さんは親の住む仙台でシングルマザーとして息子を育てていたが、震災を機に石垣島へ移住したという。
本の中に、こんな一節があった。
「登山とは何かを積み上げていく行為ではない。むしろ自分を限りなくゼロに近づけていくことだ。」
その言葉が妙に心に響いた。自分の気ままな旅も、人生で溜まった垢を落とすようなものなのかもしれない。
また、万智さんの息子が「きいやま商店」という石垣島出身のロックグループのファンだと知り、興味を持って聴くようになった。彼らの楽曲はユニークで明るく、沖縄の風を感じさせるものばかりだった。
特に「がんば」という曲が心に残った。俵万智さんが歌詞を提供した楽曲で、切なくも愛に満ちた歌だった。
いちばん行きたいところは
どこって聞いたら
「あなたのところ」って
言ってくれたね
・・・
結婚したと聞いたときよりも、彼女が母になったと知ったときのほうが、なぜか心に沁みた……自分の才能が開花するまでに別れてしまった彼女へのいたわりに満ちた、優しさ、せつなさがせつせつと感じ取れる歌に思えた。
それ以来、すっかり「きいやま商店」のファンになった。彼らの歌を聴くと、この沖縄の旅を思い出せる。歌が旅の記憶を鮮やかに甦らせてくれることがある。そんな小さなきっかけでも、どれだけ多くの素敵な時間をもらえたことか。
最後に
最後に、この沖縄の気ままな旅を通して、初めて沖縄の地を肌で感じることができた。その土地を歩き、風を受け、景色を眺めるうちに、心の中で沖縄という場所が生き生きと動き始めた気がする。
不思議なことに、深く暮らした場所よりも、軽く通り過ぎた土地のほうが、想像の中で鮮やかに輝くことが多い。自分の場合、花巻や弘前、逗子がそうだった。旅人として眺める景色は美しく、そこに生活が入り込まないからこそ、澄んだまま心に残るのかもしれない。
生活にどっぷり浸かれば、その土地の厳しさや矛盾も見えてくる。そうすると、最初に抱いた良いイメージが薄れ、色褪せてしまうことがある。美しい風景を心に刻むためには、そこに生活を持ち込まず、生活と闘わないことが大切なのかもしれない――そんなことを、沖縄の旅でふと思った。