伊勢金比羅参宮日記(11) 金剛峰寺・紀三井寺・和歌山
2月29日(32日目) 金剛峰寺
快晴。加手村(河根村)を出発してから登り坂ばかりで難所が多い。
加みや(神谷)へ着くと、茶屋にて「お国元はどこですか?」と聞いてくる。これは坊(金剛峰寺)からの案内のつもりである。坊に到着したら案内させれば良い。坊に行かずに通り抜けならば国所は名乗らず、坊に行かないということを答えておく。
坊に着けば、何分隙入り且つまた月拝日拝など勧められ、入り用も多い。御山に行ったなら、数珠屋で数珠などを買い求め、そこでは商人、宿、を尋ねてくる。ここで飲食すべし。暇いらずで良い。
ここから表門を抜けて、花坂から麻生津「をうず」に出る。
峠には2軒宿屋がある。そのうちの油屋利七郎に宿る女子供2人が踊りを踊ってくれて面白い。
表門から多く下りである。麻生津下りで、吉野川下り、舟がある。若山(和歌山)まで着す由、高野山、七百軒これある由、七堂伽藍、七年前焼失(天保14年:1843年落雷による大火で伽藍全焼する)、いまだ半ならず、数珠屋多し。
奥院には、今でも雪が残っている。無明橋(無妙橋、御廟橋)は玉川(御廟川)にかかり、長者万燈貧の一燈あり。
紅葉九重厄除守、土砂など、奥院にて受けること。また買い求めた数珠を、奥院にて開眼すること。
3月朔(1日) (33日目) 紀三井寺
明け方から雨が降っている。朝8時に出発する。麻生津渡舟場まで下り坂のみである。ただし18丁の間は急であった。
ここから若山(和歌山)までわずかな代金で、夜8時まで、毎日下りの舟が出る。いたって便が良い。ただし雨が降っている時は舟は出ない。それでも1艘買い切ってしまえば、雨天でも舟を出してくれる。
ここから粉川寺(こかわでら)に参詣する。堂閣厳荘、町家繁昌、思いのほか奇麗なところである。ここから岩出の渡を渡って、八軒屋に出て直路がある。聞いてみることだ。この間、みな51里である。
三葛村は塩場(塩浜と同じ。塩の産地)である。良いところである。しばらくして紀三井寺に到着。夜8時で雨はおさまらず、雨の中50丁ばかり歩いて大いに難儀した。藤屋孫太郎にて泊まる。あまり良い宿ではなかった。
この辺は辺鄙(へんぴ)であり、食事、酒など、値段を聞いてから食べる事。
紀三井寺は粉川に比べると少々小堂である。しかし、眺望はとても素晴らしい。和歌浦を眼下に見下ろす。このあたり暖気甚だしく、夕暮れになると蚊がたくさん出る。そのためよく寝付けなかった。
また、蘆(ろ、あし)の形が、しの(篠:細くて群がり生える小さい竹)のようで、歳を経て枯れているようである。
風俗など、大和路に比べると大いに下る。
3月2日(34日目) 和歌山
雨天、朝8時に観世音(紀三井寺)参詣。ここから和歌浦まで18丁ある。入り江を舟で渡る、1人前24文、一艘買い切りで184文なり。風雨に関わらず舟を出してくれる。和歌浦到着。
行きは必ず案内の者が来てくれる。ここは案内を頼まなくても良い。舟が到着するところは、妹背山という。ここから武津島大明神(玉津島神社)、東照宮、望海樓(老舗の旅館:現在史跡が残る)などの他、見どころはない。
ここ望海樓の下の岩石はみな木目がついている。これは古びた大木が石に変わったためであり、それで「木の国」と言う。その石を少し持ち帰る。
町家があり、その町並みは和歌山へまっすぐ続いている。その間、松並木がある。残らず根上がりしていて(根上がりの松)、その根上がりの中、人が自由にくぐれる。実に変な感じだ。
そこから若山(和歌山)ご城下に出る。名古屋に比べると狭い。このあたりミカンが安くてとても美味しい。食べてみる事だ。
ここから吉野川を渡り、1、2村過ぎて、加太に到着する。舟場から加太(かだ)まで100丁ある。もっとも道は平坦である。この辺、沃野(よくや:地味の肥えた土地、耕作地)である。8つ半時(午後3時)加太到着。
粟島様(加太淡島神社)祭礼にて屋台が出ている。其事の野鄙(やひ:いやしい、げびている、粗野で下品)見るべからず。
夜になって雨があがる。加田魚屋節太郎という宿に泊まる。この土地、海魚自在なり。風味宜し。ただ煮方が甚だ悪い。酒は安い。
今日は足痛でとても苦しんだ。
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