松尾(まつのお)大社展
京都三条通りにある京都文化博物館。ここで開催されている「松尾大社展」を見てきました。
旧日本銀行京都支店の立派な建造物がシンボルになっていますが、展示されている建物は、その裏手にある近代的なビルです。
松尾大社の名前は知っていても、どこにあるのか知らない人も多いと思います。
京都市で賑やかな場所である祇園四条。その四条通りの東側にあるのがご存じ「八坂神社」。
朱色の立派な西楼門を背にして四条通りを西に向かって歩いていくと、四条大橋手前に南座があり、四条大橋を渡り河原町通りには「高島屋」があり、大丸もすぎてもっともっと進み、西院も過ぎて、もっと歩いて行き「桂川」を渡ったところ。西の山の麓に松尾大社があります。
京都の東の守りが八坂神社で、西の守りが松尾大社となります。
松尾大社の歴史は古く、ここに京が出来る前から存在します。当時この地を治めていた渡来系の秦氏が創建しています。その当時からずっと明治時代まで宮司は秦氏がつとめてきました。
祭神は「大山咋神(おおやまくいのかみ)」で、これは山の地主神であり、農耕治水を司る神でもあります。近江では比叡山の麓にある「日吉大社」の神でもあります。一説には上賀茂神社の祭神「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」は、松尾大社の祭神「大山咋神(おおやまくいのかみ)」の父とも言われています。
もう1柱の祭神は「市杵島姫命(イチキシマヒメ)」であり、宗像三女神の1柱。神仏習合では弁財天となり、日本三大弁天とされる厳島神社、神奈川県の江島神社、近江の竹生島神社でも市杵島姫命と弁財天の習合が見られます。
聖武天皇が奈良を捨てて、山城(山背)に遷都した際も、秦氏や賀茂氏の助力があってのことと思われます。天皇家の大木に、藤のツルがまとわりつくように藤原氏が絡まり、まるで大木に花をつけたように咲いている。それと同じように、渡来系の人々は想像以上に日本に入り込み、ほぼ同化しているようにも思います。そんな始まりを思わせて松尾大社の創建はとても興味深いものであります。
展示されていたものは、ほぼ古文書でした。その時代の権力者である頼朝、尊氏、信長、秀吉、家康などの朱印状が見られました。特に、信長の朱印状にある「天下布武」の朱印は初めて実物を見ました。
古文書の書を一つ一つ見ていくと、読みやすいものと、まったく読めないものと色々で、内容もたくさんの事件、事故、不祥事もあり、解説付きで読むと楽しかったです。読めない古文書ばかりで神像だけ見て終わりじゃもったいない。古文書を解らないなりにじっと見ていくと、色々と見えてくるものもあり、そんなことで3時間もかかってしまいました。
写真にもある3体の神像は平安時代初期のものです。神仏習合により造られたこの神像は、松尾大社の信仰の具体的な形となっています。
3体のうち2体は「大山咋神」の老年と壮年で、女神は市杵嶋姫命です。
音声ガイドは、俳優の佐々木蔵之介。
佐々木蔵之介の生家が、京都市内の造り酒屋「佐々木酒造」で、3人兄弟の次男が蔵之介さん。現在は末っ子の三男さんが後継として酒造りをやっておられます。
ということで、お土産として1本買ってきました。
松尾大社のことを色々と調べていくうちに、どんどん話が広がってしまって、もう何をどうまとめたらいいのかわからないようになりました。
「要するに」なんて言葉では語り尽くせない歴史があります。秦氏のことだけでもまだまだ謎だらけですし、旧豪族のこと、藤原家のこと、天皇家のことを絡め出したら、きっとそれこそが日本史になるような気がします。
そんな壮大な歴史の一端に触れることで、自分もそのほんの塵の一つであるような気もします。これだから歴史は面白い。