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下原スイカ
![](https://assets.st-note.com/img/1722642381829-VVmcjZKzrJ.jpg?width=1200)
下原スイカをいただきました。
大玉4Lサイズを2玉。1玉10kgほどあるので、一つだけ持ちあげるだけで腰にきます。
宅配便のお兄さんは、その2玉入りの箱を軽々と持ってくるから凄い!
![](https://assets.st-note.com/img/1722642438200-cxuy40Owof.jpg)
私が留守中に届いて、早速妻が1玉を持って2階へと運びましたが、
「ヤバいヤバい、腰にきた!」と叫んでいます。
半分に切ってみると、ピシピシっと鋭く割れる音と共に、
フワ〜っといい香りが漂ってきます。
「あぁ、これ絶対うまいやつだわ!」
残った半分にラップして冷蔵庫に運びましたが、その半分が通常の1玉分の重さに感じました。
「よくこのスイカ持ってきたねぇ」
「根性出したよ」
![](https://assets.st-note.com/img/1722642505154-V82Irke9YK.jpg?width=1200)
「下原」とはどこかというと、長野県松本市波田、松本盆地の西。梓川が流れてくる谷筋に向かう土地で、
梓川の河岸段丘の地域になります。この梓川を上流へ遡っていくと、上高地や穂高岳へと続きます。
このあたりは、古代、白村江の戦いで敗れたことで、騎馬を強くせねばと全国に馬を育てるための「御牧」を造った。中信にはここ「大野牧」と南松本や塩尻市広丘周辺の「埴原牧」、穂高の「猪鹿牧」の3箇所の御牧があった。そして、その牧長は、なんと「秦氏」。
京都でも嵐山の灌漑工事が得意だった秦氏は、松本においても大野牧の灌漑工事を行い、土地を開墾し荘園としていったようです。
「大野牧」はその後なくなり、荘園としての「大野庄」も平安末期にはなくなり、「畠郷(庄)」に変わり、それが現在の松本市「波田(秦、波多)」になりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1722642658401-MMUjrSAeYH.jpg?width=1200)
スイカをいただいてみます。
8等分してもかなり大きい。
お味は、甘くて瑞々しくて食感も最高でした!
しばらく、主食になりそうです。