初めての読書感想文
はじまり
僕の初読書感想文は、二宮敦人(にのみや あつと)さんの『世にも美しき数学者たちの日常』です。
僕が初めて読んだ二宮さんの作品は、『18禁日記』で、その他には『最後の医者は雨上がりの空に君を願う(上下)』も読んでいますが、二宮さんの作品数を考えるとそんなに多く読んでいないです。
少し僕自身のことを話しますね。
僕は物語が大好きです。
全く予想できない物語や、実感できない物語は尚更好きですね。自分じゃない人物が自分とは異なる価値観を持って行動する。僕が決して体験できないことをしている。これがたまらなく好きなんですよね。
僕は数学が大好きです。
僕にとっての数学は、一つ一つ論理によって歩められていき、一つの答えが明確に出るもの。(この本を読んでからはこの言い方が少し恥ずかしいです)日常生活という不確かなことばかりの環境から一歩身を引いて休憩する場所のようなものでした。
二宮さんは、僕が持っていない価値観を見せてくれて、僕が体験できないことを疑似体験させてくれる人です。
つまりは大好きなんです。
大好きな人が、僕の大好きなことについて触れている。
そりゃあ僕が100人いたら100人全員がこの本を買いますよね?
感想(ネタバレなし)
冷たい。怖い。非感情的。無機質。無味乾燥。
数学に対するそのようなイメージは薄れると思います。
小中高で行う数学ではそうだったかもしれませんが、数学にもあるんです。
暖かい。優しい。感情的。自由。
こういう世界が。
忘れてはいけないのは、数学も人がやっているということ。
好きな歌手がいるのと同様、好きな数学者がいても変じゃないと思います。
老倉育さんがオイラーを尊敬しているみたいに。
感想(ネタバレあり)
国語と数学(157頁)
数学者が本当に無機質ならば、国語の問題も解けるはずなんですよね。学校で出される問題は、論理的に考えると答えがわかる問題しか作らない(らしい)から。
しかし、松中先生はそうではなく、「人によって受け取り方が違う」とおっしゃっています。
数学だと、前提条件があるからこそ明確な答えを出すことができる。これは意外と忘れがちなことですけど、普通に考えると、考える必要のあることが多いと簡単に難問になりますよね。(変な一文でごめんなさい)
小説なんかはまさにそうです。人によって答えが変わるのはもちろん、同じ人でも歳を重ねると変わることもあります。
数学が優しい理由は、前提条件によって縛られているからなのかもしれません。
「★味噌汁も数学だ」(78頁)、教師の悲嘆(192頁)、受験数学の意義(200〜201頁)、第11章「頑張っても、そこには何もなかった」、いじめ(280頁)
この本には、現代数学に対しての否定的な意見がちらほらみられます。
僕が特に関心を寄せたのは小中高での数学の学び方についてです。
数学に時間を使う理由が、”テストの点数”や”先生に言われたから”という外部依存なると、数学の本質を体験しずらい。
数学を通して学んでほしいことの一つに、”「なぜ」を理解すること”があると思います。
でも、点数を取ることが目標だと公式を暗記するだけで足りるんですよね。楽ですし。
僕も一人の教師ですが、数学の本質を学んでもらうことをとても難しいと思っています。(そもそも僕が理解してるかどうかはさておいて)
それでも、数学を通して学ぶべきはそこだと考えているので、不断の努力あるのみですね。頑張ります。
(小中高の数学のテストをいじめ呼ばわりするのは痛快でした。)
料理の出来栄え(197頁)
料理本と数学本を並べて語っている部分です。
共通部分は、「説明や用語が難しくてもなんとか理解できる」
料理の場合、薄力粉って何?とか、オーブンってどうやって使うの?とか。
数学の場合、π(パイ)って何?とか、-×-=+になるのはなんで?とか。
1番の違いは、「目的がわかるかどうか」
料理の場合、美味しいものができるのを知っている。つまりは難しくても頑張れる。
数学の場合、それがわかった向こう側に何ができるのかわからない。得しなさそうやから頑張る理由がない。
僕は数学が好きなので、数学の考える過程も面白いと思いますが、それはあくまで僕の主観。
みなさんに納得してもらえるような目的を僕は持っていません。
なんとなくですが、一生わからないままな気もします。
おわり
僕が思ってた読書感想文とは少し違うものになったのですが、初回はこんな感じでしたね笑
次は物語を読むので、今回とはまた違った文章が出来上がると思います。
数学は好きですが、わからないことだらけです。
これからもわからないことを楽しみながら数学と共に生活していきます。
また、読書感想文だけでなく、数学についても何か話すかもですね。
お時間いただき有難うございました。