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家事の労働対価はいくら?

某SNSでの話題を元に、一度だけちょっと深く考察するだけの文章、という書き出しで以前はnoteを書いておりましたが、まさかまだこのような書き出しで書くできごとがあったとは。

ただ、今回はいささか「旧い話」です。

確か……うろおぼえですが、主婦の方の家事全般の労働対価を計算すると、年収1,000万円くらいになる、という記事だかなんだかを、昔どこかで見たような気がしました。
ですがその後、日経が取り上げるほどこの対価についての評価の議論が一般化し、今では一月の家事労働の対価は19.4万円(ドラマ 逃げ恥より)あたりだろう、という結論に落ち着いているようです。年収に直すとだいたい240万円くらいでしょうか。

で、昨日のこと。
youtube動画を、だらーっと流し観てると(なんて非生産的な休日の過ごし方!)、家事の労働対価が年2,300万円だ! という話が出てきて。
おいおい何いつのまにそんな上がっとんねん、と失笑が漏れました。

今回はそんなお話です。

そもそも当初の年収1,000万、という数字がどのように出たのか、と申しますと。
大もとをたどれば、それはこんな計算によってはじきだされた数字だということでした。

家事労働を仮に時給1,200円とする(訪問介護の場合の時給換算がだいたいこれくらい)。
ある一人の専業主婦の存在を、Aとおく。
Aの勤務時間は、主婦というのはいわば家族のために一年365日フル稼働で働いているようなものなので、Aの年収は

1,200(時給) × 24(時間) × 365(日) = 10,512,000

となり、おおよそ1,000万円――。

と、なるわけです。

……ほんとうに、ほんとうにおとなげないとは自分でも思いますが、この値付けについてはもちろん、反論があります。
訪問介護でもシッターでもお手伝いさんでもいいのですが、労働賃金は基本実働時間で算出されます。
なので休憩中の賃金は発生しません。
「主婦は家族に言われたら休み返上になるのよ! 待機時間は労働換算すべきでしょ!」
……もっともです。しかし待機場所はこの場合自宅であり、拘束時間とはみなしにくい。なので文字通り「実働のない部分はまったくの休憩時間」
という算出で問題ないでしょう。

主婦という労働形態が、裁判などで本当にがちがちに見直されたら、この解釈はどうなるかは分かりませんが、おそらく24時間365日全部を待機による拘束時間とは認められないと思います。

なので、主婦の労働については実働ベースで算出するのが妥当であると結論できるので、この実働ベースを週5日8時間という実際の労働環境に即したものとみなした場合、Aの賃金換算はおよそ

1,200 × 8(時間) × 22(日) × 12(月) = 2,534,400

となり、冒頭の逃げ恥が算出した240万円にだいぶ近い数字となりました。

「急な用事があったり、夜中たたき起こされたりした分はどうなのよ! これって実働換算よね!?」

はい。その分は残業と同じく時間外労働とみなし、このようなイレギュラーな労働時間はまず月60時間以下であるとみなせますので、その実働時間ぶん、通常賃金の25~35%を乗じた額が賃金として支払われるべき、と考えます。
そして、労働者側からそのような要求が仮にあるとした場合、上記のように週5日8時間「必ず」実働として勤務していたかのチェックが必ず被雇用者から入ります。ので、8時間のうち休憩時間をきっちりさっ引かれ、かつ休憩時間を厳密にたとえば午後12時から午後1時までの間とトイレ休憩、タバコ……はないでしょうからおやつとか、お茶とか……休憩を入れて30分自動的に差し引くとか、そういう労働形態に押し込まれてしまうでしょう。そうなると当初仮定した賃金、およそ253万円よりむしろ低くなってしまうのではないか、と予想します。やぶ蛇でしたね、と。

つまりどうがんばっても、逃げ恥に分があります。

ので、Aの年間の労働を時給換算すると、およそ240万円前後、というのが実際に正確なところだろう、という話になります。

とまぁ。
長々こんなどうでもいい時給換算をするなんざ、本来は無意味なのですよ。
といいますのが、当初の年収1,000万という試算にせよ、あるいは逃げ恥が出した240万という妥当そうな試算にせよ、この試算方法はそもそもが投下労働価値説(※労働の量が価値の真実の標準尺度である、という経済学、それもかなり社会主義的なノリの考え方)に基づく試算であるからです。

現在日本は社会主義者からみればかなりカゲキな資本主義形態でありますので、おおよそ労働者の賃金は被雇用者から提示される額がその全てであり、「イヤなら辞めろ」という形で枠をはめられております。

今、Aを専業主婦、と仮定しておりますので、そのまま話をすすめますと、AさんがB……これをAの旦那さん会社員、と定義しましょうか……さんと結婚し、主婦業を開業した時点で、Aの賃金はBによってその価格が決定されており、もちろんAはそれに対し反発、労働争議を起こす権限はありますがそこは会社ではなく家庭なので法の許す限りにおいてかなりカゲキなケンカを経るだろうことがまぁ、予想されるわけです。

ましてやつい昨今まで日本経済はデフレておりましたので、当初の年収1,000万という金額なんかでAを雇う被雇用者などまぁ、いるはずもなく。
(いることはいるんでしょうが、今度はその場合、Aが別の価値を有しているだろうという、これまたたいへん生臭いお話になりますのでやめときます。そういうことを語りたい場でもないので)
Aは自己評価した自分の賃金を下げていき、どこかのパレート最適解(需給における双方の合意点)に落ち着くでしょう。それが逃げ恥の240万だったらむしろ、御の字なんじゃないですか?

と。
いささか気にくわないことを書き殴ってきた、という発想は私自身にもあります。気分害された方は申し訳ないです。

というかですね。
そもそも、こういう年収1,000万議論なんてのが出た背景というのは、主婦の方の家事労働をまるで無給であるかのように振る舞う男性側の無理解から生まれたカウンターであり、そのこと自体についてはじゅうじゅう男性側は反省すべきなんですよ。

この話の要旨は、家族である相手が自分のために日々その身を削って努力していること、可視化できない部分で気をつかって動いてくれていることを相応に評価し、賃金という生々しい評価じゃなく、ありがとうの言葉とか、たまの旅行とか、花とか、まぁそういう気が利かないんならお金でもしょうがないけど、という、そういう気持ちを大切にしましょうね、というところに落ち着くべき話だと思うのです。

年収1,000万は、いわば「男性がわがいかに家事労働全般に無理解であったか」を惹起し、はっとさせるいわば「カンフル剤」として意味を持ち、逆に言えばそれ以上のものではありえないんですね。

ですから世の男性は、家族となった相手の女性(最近は女性であるとも限りませんが)に、もっとちゃんと感謝しましょうね、という締めで、この話終わりたいと思います。

そして。

まかり間違っても、世の女性は、家事労働だけで1,000万の価値がある、なんて、マジで信じないようにお願い致します。
そして、もし本当にその価値があるなら、私にその仕事を紹介してください。
LGBT信者になって、飛んで行きますので(わらい)。


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