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暮瀬堂日記〜時雨
夜明から肌寒く、しとしとと夕方まで雨が振り続いていた。ちょうど時雨の時節であるが、「時雨」は短時間に降るものなのでここでは「冬の雨」と言うべきかも知れぬゆえ、秋冬の交わりを知らせる「時雨」が脳裡をよぎって来る。
陰暦十月を、神無月のほかに時雨月とも呼び、「しぐる」と動詞としても使われている。
ぱらぱらと降っては晴れ、また突然降って来たりするこの雨によって、木の葉の色が褪せてゆき、やがて散らせる。古来より和歌に詠まれてきたが、中世の戦乱の世を経てより、寂寞としたものの中に無常観などの意味合いをも具えるようになった。
昔おもふしぐれ降る夜の鍋の音 鬼貫
干網に入日しみつつしぐれつつ 来山
楠の根をしづかにぬらす時雨かな 蕪村
夏の夕立は颯爽と降り呆然とする感があり、以下の短歌を為したものだった。
夕立に走り込みたる書店にて
無為に手にせしドストエフスキー
同じ年の冬には、やはり同じ本屋で時雨一句を得たのを思い出す。
カラマゾフ立読みすれば時雨れけり
文豪の大長編、幾度も時雨が通り過ぎたであろう。
(二〇二〇年 十一月廾五日 水曜 陰暦十月十一日 小雪の節気 虹蔵不見【にじかくれてみえず】候)