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秋の暮らしと芸術。仕事と自分の時間どっちが大切なの?素敵なおばあちゃんから教わったこと。

少し肌寒なってきたこの頃。なんとなくセンチメンタルな気分になりがちだ。でも、私はこの少し寂しいようななんとも言えない秋の季節が好きだ。同じ気温でも春と秋はなんでこうも違うんだろう。

巣ごもりをしてやっと思いっきり外に出れる春は、何かしなきゃっていう気持ちが強くなりすぎてワクワクを超えて落ち着かない。でも、秋は休憩していいんだよって言われているような、不思議なゆったりとした時間が流れている。

だから、秋になるとよく昔のことを思い出す。

書道のおばあちゃんが教えてくれた芸術の楽しみ方

私は仕事でよく書道会に顔をだしていた。書道会というのは、書道の全国コンクールに出して、入賞することを目標にしている大小さまざまなサークルだ。50年以上伝統があるところもあれば、最近できた小規模のところも様々な形がある。

私がよくいっていったのは週1回集まり、そこで2~3時間みんなで書道を楽しむというスタイルだった。師匠と呼ばれる先生が一人いて、みんな書いては見せにいく。墨の香りと、筆のシャッ、シャッという音、そしておばあちゃん達の朗らかな笑い声が響く空間だった。

そこに、上田ばあちゃんという一人のおばあちゃんがいた。彼女の口癖は「わたし40年書道やってるけど、全然うまくならへんわぁ~」だった。実際にそこまでうまくなかった。

上田ばあちゃんはそんなことどこ吹く風、すごくキラキラと毎回楽しんでいいる。ある時、上田ばあちゃんに「展覧会で賞とか狙いに行ったりしないんですか」と聞いてみた。普通は書道会に入ったら賞の一つや二つ欲しくなる。

でも、上田ばあちゃんは「私は別にね、いいよの。続けることに意味があるから」って言っていた。これにはすごい衝撃を受けた。私はプロとして10年以上芸術の仕事に携わるうちに、外部評価を重視し、いつの日か仕事としてしか芸術を見なくなっていた。アマチュアでもみんなうまくなるためにやっていると思い込んでいた。でもそうじゃない。

続けることに意味がある。何も上手くならなくてもいい書いているその瞬間、出来上がった瞬間、それを誰よりも楽しめればそれだけで価値があるってことを彼女に教えられた。本当の意味で芸術と向き合えて楽しめていたのは私ではなく彼女だったのだ。

実際に、書道会に来ている誰よりも上田ばあちゃんは幸せそうに見えた。上達に拘る人や名誉にこだわる人は3-4年で居なくなっていた。40年も書道を楽しめる人間はそうそういない。誰かのためにやるのじゃなくて、本当に自分自身を楽しませるために芸術と向き合うということを40年もやったきたのだ。

下手でもいいから週1回芸術に向き合う。これは、自分自身との対話でもあるし、同じ趣味の仲間もできるソーシャルな活動でもある。もしかしたら、この週1回の芸術活動が上田ばあちゃんを本当に幸せな人生にしていたのかもしれない。

仕事と自分の時間

他にもばあちゃんには色々と教わった。彼女は40年以上事務員として働いていて優秀だった。でも、絶対に管理職にはならなかった。毎回昇進を全力で断っていたらしい。

それを聞いたとき「ええっなんで?もったいない」って言ってしまった。そしたら、彼女は「たしかに、お給料は増えるわよ。でもね、そんなにお金もってもしかたないわね。お習字の時間もなくなっちゃうし。」って笑っていった。

彼女はあらかじめ自分の人生を豊かにする時間を取っておいたのだった。もし、先に自分の時間を取らずに仕事に打ち込んでいたら、書道を楽しむ余裕すらなくなって、今のような幸せな姿を見れなかったのかもしれない。私たちは忘れがちだけど、人生においてお金と自分の時間は同じぐらい大切なものだ。どちらか片方のために全部を犠牲にすることは良くない。

でも、ついつい人生の前半をお金人生の後半を自分の時間(家族)という風に割り振って考えがちだ。でも、人生は時間割通りいかない。体力と気力も衰え退職を機に新しいコミュニティーに入って動き出せる人は思ったより多くない。しかも、1番いい時期に家族を大切にしなかったら退職したころには家族とも疎遠になっているかもしれない。

いまでも元気なおばあちゃん、おじいちゃんたちを見ていると、みんな現役の頃から頑張って自分の時間を確保してきた人たちだった。あるおじいちゃんは、朝4時まで飲み会いって、仕事して、そのあと書道会に来たもんだと笑っていた。真似は出来ないけど、それぐらいの気持ちで自分の時間も大切にすることが元気の秘訣なのかもしれない。

将来、こんな風に歳をとれたらいいな。


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