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サードプレイスの解説。アメリカ化する日本にとって必要なものがそこにあった。

みなさん、サードプレイスという言葉をご存じだろうか。

サードプレイスって言うと近頃じゃカフェのことを言ったり、ビジネスの文脈で使われていたりする。けど、実は間違って使われていることも多い言葉だ。

今日は、人生を楽しむためのサードプレイスという考え方をご紹介したい。

サードプレイスは社会学

サードプレイスという言葉はアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが1989年に執筆した『The Great Good Place: Cafés, coffee shops, bookstores, bars, hair salons, and other hangouts at the heart of a community』という本がもとになっている。

この本の中でオルデンバーグは私たちの所属するコミュニティーを3つに分類して考察した。一つ目は私たちの活動の中心となる「家庭」、これをファーストプレイスと位置付けた。二つ目は家族以外で私たちが最も時間を割く場所、「学校」や「職場」セカンドプレイスと位置付けた。

最後に、「家庭」でも「学校」や「職場」でもない第三の場所としてサードプレイスという言葉を新たに作り上げたのだった。なぜ、オルデンバーグがわざわざサードプレイスという言葉を作って新たなコミュニティーの場を提案したのかというと、それはアメリカの社会的問題の解決に向けてだった。

オルデンバーグは当時のアメリカ社会における都市空間について、インフォーマルな空間の欠如を大きな問題点としてとりあげていた。

当時のアメリカは超競争社会の職場自宅の間を往復し、2拠点滞在型の日常生活が定着しつつあった。そして、まったりとできる集いの場が急速に姿を消しつつある現状があった。

そして、まったりとできる集い(インフォーマルな空間)が無くなったせいで、都会の楽しみは、ほとんど大量消費化していると、オルデンバーグはアメリカ社会を批判していったのだ。さらに、「わたしたちアメリカ人は、人とつきあわない自由を賛美する」とまで述べている。

この、人と関わらずにお金を使って自由を謳歌するという価値観はまさに今の日本人が持っている価値観ともすごく近いものだと思う。

サードプレイスは解決策

こうした、職場と自宅をただ往復し、人と関わらずに、お金を使うことでしかストレス解消や楽しみを得ることができない社会を痛烈に批判し、その解決策としてサードプレイスという考え方が生まれた。

オルデンバーグがアメリカ社会の問題点を解決するうえで参考にしたのがヨーロッパのコミュニティーだった。例えば、フランス、イタリアなどではカフェ文化が盛んである。

ヨーロッパのカフェというのは日本のカフェとは少し違い、それ自体がコミュニティーとして成立している。みんな行きつけのカフェを持ち、常連客同士が楽しく会話しあう。行けば誰かに会い、話せるという環境がある。

オルデンバーグはヨーロッパのカフェ文化を参照しながら、サードプレイスを次の8つの特徴を持つものとして定義した。

①中立の領域(誰でも自由に出入りできて、全員がくつろいで居心地のいい場所)
②人を平等にするもの(社会的身分の差や他者の受け入れに制約を加えない場所)
③会話が主な行動(会話を楽しむことを重視)
④利用しやすさと便宜(1日中どんな時間でも利用できて、近場にある)
⑤常連(いつもいる人がいて、活気づけられる場所)
⑥目立たない存在(地味で飾り気のない雰囲気)
⑦その雰囲気には遊びごころがある(日常の規範から逃げれるような感覚)
⑧もう一つのわが家(メンバーがぬくもりと友情のある人付き合いができる)

これを見ると、よく勘違いされがちな、カフェ=サードプレイスではないいってことだ。あくまでも、サードプレイスは人との会話や交流がメインで、場所のことを言うわけじゃない。もし、話し相手がいないならそれはただのコーヒーを飲む場所になる。

ざっくりとまとめると、サードプレイスは近場にある誰でも気軽に参加できる、身分関係なく楽しめる温かいコミュニティーということだ。そこには上下関係も、無駄なマウントの取り合いもなく、行くだけで安心できる雰囲気があるようなところ。こういった場所が社会に必要だと、1989年にはオルデンバーグ指摘していたのである。

日本のサードプレイス

1989年にアメリカ社会で起こった自由なコミュニティーの崩壊は、今日本でも起こってしまっているように感じる。昔は井戸端会議や、公園のベンチで将棋をするおじさん、ラジオ体操サークル、スナック、喫茶店など、みんな職場と家庭以外の場所を持っていた。

でも、今はどうだろう。公園で将棋しているおじさんは、都市デザインの変化や行政指導のせいで姿を消してしまった。ベンチもホームレスが寝れないように、あえてくつろげない形にデザインされている。都心ではそもそも座る場所がなく、座るのは有料(チェーンカフェ)などを利用しないといけない。

日本の都心はどんどんキレイになっていくと共に、目的をもっていない人を追い出すデザインとなってしまった。ただそこに居るということが許される都市デザインではないからだ。

私がフランス3年、カナダ半年、アイルランド、オーストラリア、ドイツ、その他の多くの国に住んで思ったのが、この何も気にしなくて、ほっこりとできる場所が日本には圧倒的に少ない。

常に目的を持たされている気がする。人と話したくても、まずどこにいく?って話になる。大人がただぶらーっと集まる場ってのがあまりない。

今は東横キッズとか、グリ下キッズってのが家出少年少女のたまり場としてニュースで取り上げられているけど、むしろ彼らのほうが本当の意味でのサードプレイスを持っているのかもしれない。

たしかに、犯罪や薬の温床となっていることは認める。けど、私たち大人は真っ先に彼らのサードプレイスを潰しにかかった。じゃあ彼らはどこに逃げれるのだろうか、心配になる。

私たち大人も、ママ友とか、趣味友とか、そういった区切りで集まるのじゃなくて、何かもっと漠然として、とりあえず話す相手が居るような場所がもっと必要なのかもしれない。

現実空間が厳しくても、オンラインゲームやNOTEとかこういったインターネット上にこれからどんどんとヴァーチャルサードプレイス的なものが産まれていくのを期待したい。

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