世の中の大体のモノは無料の方が高くつく。あえてお金を払う生活のススメ。
無料ってなんていい言葉なんだろう。
無料って聞くだけで、ピクンっと身体が反応して特にほしくもなかったタオルとか洗剤をアンケート書いてまでもらっちゃう。どうせ、使うモノだし。損はないよね。
スーパーで無料の試食。タダで食べれるってだけで何倍も得した気分になっちゃう。この世は今やフリーが溢れている。暇だったらユーチューブ、無料の携帯小説、そして、このNOTEも無料だ。
なんていい時代に生きているんだろう。でも、それって本当に無料なのかな?私たちは無料のモノの引き換えに何を支払っているんだろうか。
出費は痛みを伴う
無料のモノと100円のモノを比べるとしよう。すると普通の人は無料を選ぶ。なんたって、無料は自分の懐がまったく痛まないのにモノをゲットできる。
この懐が痛むという言葉は非常に良く人間の心理を表している言葉だ。実際に人間はお金を使うとき、つまり自分の所有物が減る場合に痛みを感じるらしい。これは、人間が生きていく上で必要なシステムだった。
人は食べていくために、ある程度の貯蓄が必要だ。それは原始時代でも同じだった。今日だけではなく、明日の為に木の実や果物を取っておく。もしも、貯蔵したものを失ってしまうと死に近くなる。明日食べ物が手に入るか分からない生活ではよりそれが顕著だった。
だから、持っているモノや食べ物を減らさないようにストッパーとして痛みを感じるのだ。それは現代人にも受け継がれている。例えば、現金で払うとお金を実際に数えて、モノとして所有しているものが減るから痛みを感じやすい。つまり金払いが悪くなるのだ。
そこで、消費社会はおもちゃのようなプラッチックカードでそれを代用させた。そう、クレジットカードだ。カードは支払の痛みを軽減してくれる。たとえ、お金が減っても銀行口座の数字が何か動くだけだ。直接的に何かが減ってる気はしない。
これは、より人にお金を使わせて経済を循環させるためにはなくてはならない仕組みだ。支払い方一つ取ったってそうだ、私たちにお金をより使わせるために罠と言うべき色んな工夫が仕掛けられている。そんな中、本当の無料ってあるのだろうか。
無料は有料(お金ではない形で支払っている)
例えば、試食。愛想のいいおばちゃんが焼いてくれたウインナー。それを私たちが食べるとき、二つのメリットが企業にはある。
一つは人が持っている本能「お返し」に期待することだ。愛想のよいおばちやんに焼いてもらったウインナーを食べた私はそこまで美味しいと思わなかった。これならシャウエッセンのほうが美味しい。でも、おばちゃんに「おひとついかがですか?」と声をかけられた。これを無視するのは難しい。
なぜなら、既に食べ物を貰うという好意を受け取ってしまっているからだ。これは意識的に抗わないと、自然と何か「お返し」をしなくてはいけないと思ってしまう。そうなったらもう手遅れ、あまりおいしくない340円のウインナーがカゴの中に入ってしまうのだ。
もう一つの企業のメリットは注目を集めれるということだ。今やアテンションエコノミーと言われる言葉が出来るほど、人の注目というのはお金に換算されている。当然人の注目が集まれば集まるほどモノが売れるからだ。
そう考えると、無料の試食でたとえ人が介入しない場合でも十分その役割を果たすことができる。無料の試食の前には当然商品が大量に並んでいるし、ポップもある。食べるとき、人はそれを自然とみる。誰でも食べているのがウインナーなのか魚肉ソーセージなのかの違いぐらいは気になるはず。
そうすると、10秒ほどは商品をしっかり見てくれる計算になる。たとえ、すぐに買われなかったとしても、私たちの中に馴染みのある商品として深く刻み込まれることとなる。しかも、無料という高い好感度と一緒に記憶のボックスに放り込まれる。そうなったらもう、あとは無意識に選んでもらうのを待つだけだ。
そう、無料は実は全然無料じゃないのだ。私たちの注目を集め、しかもそれを好印象と共に記憶に刻み込むための罠だったりする。でも、もしお金を出してウインナーを買っていたらどうだろうか。大なり小なり痛みを我慢して買ったモノに対してはみんな真剣になる。ほんとにこれ欲しかったのかなとか、これが満足するものなのだろうかとか。色々と考えて、これっていうのを選んでいる。
それらの過程をすべてフットばさせる威力があるのが無料だ。つまり、私たちは一口のウインナーと交換に私たちの「自由な選択」を差し出しているとも言える。
これは娯楽でも同じだ。ユーチューブとかもそうだ。無料の娯楽は大体広告が付いている。その時間分、あなたたちの貴重な人生を支払っている。また、携帯小説とかNOTEもそうだ。無料だからみんな読んでくれているけど、本屋に行けばもっと質の良いエッセイや情報はあふれている。
私の記事も誤字脱字が多い。編集者にお金を払わないおかげで、無料だけどその分クオリティーは保証されていない。もしかしたらみんなの人生を無駄に消費させているのかもしれない。
無料の世のなかであえてお金を払おう
無料の罠であふれているこの世に対抗する一つだけの方法がある。それは、お金を払う事だ。お金を払う事で痛みを感じる。だからよりそのサービス自体にすごく意識を向け、真剣に自分にとって良いものかを吟味するようになる。
なにかを貰うために自分にとって1番大切な「自由な選択」や「人生」を消費する必要はない。守るためにお金を払うのだ。それは100円でもいい。古本の100円でもそこには大勢のプロが携わったクオリティーがある。
映画でもあえて単品でDVD借りてみたり、映画館で観てみよう。一つ一つ大切にお金を使っていけば、無料でサービスを受けるよりきっと良い人生になるはず。
もし、この記事が面白くなかったら、無料てことで許してほしい。あと、やっぱりユーチューブっておもしろいよね。