役に立たない

なーんの役にも立たない、かな。
自慢にはならないですね。

寺地はるなさんの『こまどりたちが歌うなら』を読みました。


『「お母さんって、っていうかお父さんもやけど、なんでそんな映画好きなん」
母は豆腐のサラダの器を持ち上げながら「なんの役にも立たんから好きなんや」ときっぱり言い切った。
「なんの役にも立たんことはない思うけど」
映画を千本観たらただの「映画を千本観た人」になり、本を千冊読んだらただの「本を千冊読んだ人」になる。それだけのことだと、母は言う。そうではない人より感性や想像力や倫理観や知識が蓄えられるわけでもない、だからたくさん読んでいるとか観ているとか、なんの自慢にもならない、と。
「そんなことないよ! 勉強になったり考えさせられたり、いろいろあるやろ。フィクションを通じての学び、みたいな」
「あーりーまーせーん。人が考えたこと読んだり見聞きしただけのことを、『学んだ』って錯覚してるだけや。ていうか茉子あんた、すべてのフィクションからなにか学ぼうとか吸収しようとか、そんなことばっかり考えてんの? 病むで、そのうち」
「病むの?」
「あとその『考えさせられる』って言い方も、ちょっとなあ。考えさせられますって言いながら実際そのテーマについて考えてる人、ほとんどおらんような気がする」
「そんなことないって、それは偏見や」』

たくさん読んだからって、役に立つことはないですね。
たぶん。
いや、少しは役立てたいですけど。

役立つとか、役立たないとか、そーゆ―ことじゃなくて、楽しいのです。
楽しいし、好きだから役立たなくても、役に立っても、どっちでもいいです。

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