ここなら集中できる

なんか、集中できないときがあるんです。
で、いくと集中できるんですよね。

柚木麻子さんの『とりあえずお湯わかせ』を読みました。


『これが非常に重要だ。『賭博黙示録カイジ』で、悪徳金融会社・帝愛グループの幹部利根川が債権者らに大説教をくらわす場面がある。「おまえらはシャバでの闘いに負けに負けて今ここにいる折り紙付きのクズだ」言い方はわるいが、私はまさにシャバで負けに負けた連中、どうにもならなくなった人間だけが集まる店をいつも探している。
そこにひしめいているのは、コーヒーチェーン店でも家でも仕事ができる人間か、それともコーヒーチェーン店でしか仕事ができない人間か。見極めは難しいが、後者ばかり集まる場所というものは、店構えだけで、ピンと来るようになった。できたら大きな大学がそばにあって、駅の近くだといい。学生と社会人がちょうどいい割合で集まりやすくなる。BGMやメニューに目新しさがないことも重要だ。純粋に飲食や会話を楽しみに来た客ばかりだと、私までワクワクして、逃避してしまうからだ。電源が取れる席はないと困るが、あくまでもごく一部なのがベスト。取れる席ばかりだとゲーム目当てて訪れる客が増えてしまう。
赤本から目を離さない高校生、資料を積み上げた卒論作成中らしき学生、出社前なのか、外回り中なのかわからないが、猛スピードで資料を作っている、きっちりした服装からして会社員らしき女性や男性。そして、おそらくは自由業者。自由業者の存在はとても重要だ。ここにあげたメンバーの中で、一番目が泳いでいる気がして、共感する。そうした人々がいい配分で集まる店は、ドス黒いオーラが自動ドアから溢れ出すようだ。そうした渦の最中に身を置くと、何故かスッと心が落ち着く。自分の能力のなさ、甘えと向き合わないといけない、恐怖心が減るのだ。集中とは私は一種のあきらめだと思っている。家でどうしても集中ができないという人は、何か夢のようなことを未だに信じているロマンチストなのだと思う。長所は常に短所なので、楽しいことを見つけるのが上手で、毎日いそいそと暮らしていたりする。そんな人が「自分は自分でしかない。ミラクルなど起きない。目の前のことを淡々とやるしかない」と腹をくくるのは大変辛い。辛いが、同じような辛さを滲ませている仲間が周囲に多ければ多いほど、悲しみは減る。』

カフェだと集中できるんですよね。
家でもそうだといいのですけど。


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