それがしたいのだ

どこかに書かずにはいられない。
読まれなくてもいいから。

寿木けいさんが書いた『泣いてちゃごはんに遅れるよ』を読みました。

『私のホームページを見たという姉が、最近、電話をかけてきた。
「日記」というカテゴリーがあるということに驚いて、思わずかけてしまったという。
ブログでも身辺雑記でもなく、日記。姉にとってそれは、心の奥底までを打ち明けた、ひとが気安く読んではならないもの。それを公開して大丈夫なのかと、心配してくれたのだ。
読んでもらいたいから書くのである。事情によっては個人情報を脚色したり、時系列を前後させていたりもする。真実だけを書かなければならないとも、私は思っていない。
過去を遡って読んでみると、こんなふうに感じていたなんて自分勝手だなと思うこともある。小さな不幸に対してすいぶん鼻息が荒いと驚くこともある。
それでもなぜ、ウェブサイトで日記と名付けたものを書くのか。
書かずにはいられないからだ。こんなことがあったんだけど、あなたはどう感じるだろうか――誰かひとりにでも届けばいい。ボールを投げてみたいのである。
それをブログではなく日記と呼ぶのは、明日もなんとかやっていけるように、今日を締めくくりたいという小さな祈りがあるのかもしれない。
一日の終わりに創造主に祈る習慣がない私は、日記を祈りに代えている。
それは、紙に書いた内省の祈りとは違い、物を書いてお金をいただくようになった者としての、開かれた祈りであるように思う』


見せたいわけではないけれど、どこかに書きたい気持ちがある。
紙の日記にも日々書いているけれど、他にも書きたい。
私も某SNSに、個人的なつぶやきを書いてます。
寿木さんの小さな祈りという気持ちがわかる気がします。


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