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この寂寥感は、いったいどこからやってくるの?

人生の価値を測るための尺度がお金になってしまうと、“今、この瞬間に生きている”という感覚が、だんだんと失われてしまうようです。

「売るときの価値を考えて車や服を買う」
他者の価値観で選択し、より多くのお金を得られるのなら、自分が本当に欲しいと思ったものでなくてもいいという考え。

「スマホの画面を見ながら食事をする」
何を食べているのかも意識することもなく、自分自身が現実ではなく画面の中に没入している状態。
時間がお金に換算できるという考えから、効率化が善とされる考え。

違和感なく生活に染みついてしまった思考や行動のパターンが、私たちから”生きている実感”を少しずつ搾取しています。

その結果、漠然とした不安を抱えて、
原因の分からない悩みに苦しめられることがあります。
忙しい日常が、それを覆い隠しますが、突然、得体の知れない虚無感に襲われることがあります。

どうして?

自分を高めるための努力を惜しまず、
日々を忙しく過ごしているはずなのに、
どうしてこんなに寂しい気持ちになるの?


人生の価値に「お金」という分かりやすいモノサシを与えた結果、平易で柔らかいものばかり自分の中に取り込みました。
そして、人生という最も複雑で難解なものを、ずっと放置してしまいました。

ところが、夜眠りにつく直前や、ふとした瞬間に、
見て見ぬふりをしてきた“人生のツケ”を眼前に突き付けられ、圧倒されてしまいます。

お金という基準が消えてしまうと、残された"わたし"は、そよ風で飛ばされしまいそうなくらい、弱く危うい存在であることに気づきます。

まるで自分だけこの世界から取り残されているような寂寥感。
これまで、裕福な人が老年期を迎えるころに出てくる感情でした。

ところが、近年、若い世代がこの寂寥感に悩まされています。
資本主義や情報社会の成熟により、若い世代が、
比較的簡単にお金を手にすることができるようになったからです。

年配者は、この寂寥感をきっかけに人生と向き合うことを選び、世捨て人のように過ごす選択を取ることもできます。

ところが、若い世代は人生の経験が足りないから、
この寂寥感に飲み込まれてしまいます。
そしてその寂寥感は、次第に喪失感や虚無感に形を変えて心に鎮座します。


でも、大丈夫。
自分が現実に向き合えていないということを知ることができたなら、それだけで、問題の大半は解決したといっても過言ではありません。

どのように生きるか

スマホを置いて、自分の価値観を信じることができれば、今、ここに生きている感覚を取り戻すことができます。

人生について考えるための時間が、十分に用意されているということに気づくはずです。

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