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見えない障害と、深夜の110番
”困った子は困っている子”
小学校教師ほたろうさんがInstagramに投稿していた言葉だ。
それがとても響いて、心に残った。
それ以降わたしは困った人を見ると、この言葉を思い出す。
一番困っているのは本人なのかも?
そんな視点を持つだけで、少しだけ寄り添いの気持ちが生まれるから不思議だ。
もともとわたしは心が広いタイプではないし、優しさに溢れた人間でもない。
とくに親に対してはこっぱずかしさもあり、愛情の出力がひゅっと弱になる。
そんなわたしだけど、これだけはできるようになっていてよかった、と思ったことがある。
それは、長男と通った療育で学んだ「困った行動にだけ目を向けずに、なにに困っているのか見つけること」だ。
幼児期の長男の育児がハードモードであったおかげで、わたしは”相手の目線に合わせにいって素早く困りごとを見つける”という経験値をバリバリに積んでいた。
まさかその瞬発力を父に使う日がくるとは思いもよらなかったけど。
見える障害、見えない障害
父は脳出血による後遺症で、右半身麻痺になってしまった。
それでも、右足に装具、左手で杖をつけば自分で歩くことができたし、ちゃんと会話もできていた。
見るからに身体の不自由な人になってしまった父の姿には心が痛んだけど、暗闇対応メガネをかければ悪いことばかりではなかった。
外から見てわかる障害はその不自由さを想像しやすく、周りが配慮すべきことや手伝えることにも気が付きやすい。
体を支えたり、座るときは椅子をひいたり、お手伝いできることがある。
しかし、頭の中の障害はそうもいかない。
外からは見えないからだ。
結局父にどんな後遺症があったのか、最後までわからなったことがたくさんある。
だからきっと、寄り添えなかった部分もたくさんある。
父があんなに大好きだったカメラを触らなくなってしまったのは、右手が使えなくなったという理由だけではないと思う。
機械を操作するのが、認知の面でうまくできなくなったのだろう。
他にもきっとたくさん不自由で不安なことがあっただろうに。
ゴールデンウィークのできごと
2022年春ごろから、父が時々おかしなことを言うようになった。
今から思うと命が終わりに近づいていくサインだったのかもしれない。
”あ、今お父さん困ってる…”と感じるような場面が出てきた。
妹家族も一緒に帰省したゴールデンウィークのこと。
その日夫はとあるご飯会があり、夕方から出かけることになっていた。
みんなでお昼ご飯を食べながら、「15時くらいに出発して、22時くらいに帰る」「わかった〜」のような会話をしたと思う。
その夜、父と母は21時ごろ就寝。
父は1階の和室で、母は2階の寝室で寝ていた。
子どもたちも2階で寝て、わたしは妹とリビングで楽しくおしゃべりをしていた。
21時半くらいだったか、夫から「帰るのが23時過ぎになりそう」という連絡があった。
遅くなるなら、もう実家には来ず自宅に帰って寝てもらうように伝えた。
その方が近いし、遅くに実家に来て父を起こしてほしくないからだった。
夫は明日の朝またそっちにいくね、と言って電話を切った。
23時半を過ぎた頃だっただろうか。
そろそろ寝ようかと洗面所で歯磨きをしていたら、父の部屋からボソボソと声が聞こえる。
独り言かな?と思って耳を澄ましてみるが、何を言ってるのか聞き取れない。
リビングにいる妹に、「お父さんがなんか1人でしゃべってる」と言って、ドキドキしながら2人で様子を見に行った。
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