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追悼記事 【信藤三雄展】 信藤三雄×牧村憲一 トーク 『音楽とアートの蜜月時代~“渋谷系”はなぜ生まれたのか』
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『ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ』
トーク「音楽とアートの蜜月時代~“渋谷系”はなぜ生まれたのか」
--------------------------------2018.08.05 世田谷文学館 1F 文学サロン
出演:信藤三雄・牧村憲一(音楽プロデューサー)
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かつて”渋谷系”と呼ばれた音楽のアートワークを次々と手掛けたグラフィックデザイナー信藤三雄さんと、その”渋谷系”の重鎮であるフリッパーズ・ギターのプロデューサーであり、メンバーの小山田圭吾のレーベル『トラットリア』の設立に深く関わった音楽プロデューサーの牧村憲一さんによる貴重な対談です。
●フリッパーズ・ギター1stアルバム 『海へ行くつもりじゃなかった』 アートワーク秘話
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メンバーの小山田圭吾が当時渋谷にあったサントラ専門店『すみや』で、ピチカート・ファイヴのアルバム『ベリッシマ』のポスターを目にした事から牧村さんに相談、信藤さんがフリッパーズのアートワークを担当する事となる。
牧村憲一:コンテムポラリー・プロダクションに行くと、(ジャケットに使う写真の)カラーコピーが置いてあったんです。
※コンテムポラリー・プロダクション:1986年に設立された信藤三雄主宰のデザイン事務所。現在は『信藤三雄事務所』を設立。
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※真ん中に展示してあるのが、版下として使われたカラーコピー。元の写真の撮影は写真家の三浦憲治氏。
信藤三雄:カラーコピーで作るのはフリッパーズが最初で。カラーコピーはコントラストが付く。ノスタルジックが好きでハイテクなものが好きだから、活版印刷も中間色が飛んで濃いものと薄いものになるけど、カラーコピーを見て、昔の活版印刷と一緒だなって。
牧村:昔の映画の”総天然色”と一緒ですね。
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ージャケットの重要性ー
牧村:社内にはデモテープすら聴かせていなくて、竹内まりや、大貫妙子の流れで完成品を初めて聴かせたら、全員が青ざめた。英語だし、下手だし、大学生みたいだし。しかし、あまりに素晴らしい英語詞だから小沢くんに訳詞も頼んだら、また素晴らしいものが返ってきた。内部は盛り上がってるけど、外部は青ざめてました。
けれど、六本木WAVEにプロモーションに行った際に、「(ジャケットの)カラーコピーをください!」と言われ、そこで初めて「これは売れる、洋楽コーナーでも売れるし!」と盛り上がりを感じました。それにレコード会社も絆された。もしあのジャケットが無かったら盛り上がらなかった。
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信藤:(ジャケットは)ものすごく重要なものだとは思ってる。 でも、すべては音楽ありきだとも思ってる。
牧村:アートワークには同等の価値以上がある。触れて見れるものに固執している人が何割かはいると思います。
牧村:ビジュアル無しでいく事は考えられますか?
信藤:ビジュアルがない音楽は寂しいですよね。
牧村:信藤さんは音楽をワンテーマで、ビジュアルで解析する人だと思っています。
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●フリッパーズ・ギター『さようならパステルズ・バッジ』MV制作秘話
探偵に追われ地下鉄に逃げ込んだフリッパーズ・ギターの二人が車内をゲリラで歌い練り歩く衝撃的なMV。
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信藤:全く許可無しでラジカセを持って、赤坂から丸ノ内線に乗って新宿方面に行ったんですよ。1テイクで。カメラは2台、スタッフは総勢4名くらい。「やるぞ!」と言ったはいいものの皆ビビり出して。乗客も何が始まるんだろうって(笑) で、曲をかけて。小沢と小山田は度胸があるから。心はパンクじゃない? 楽しんでやったと思う。
牧村:彼らにとって狭い世界で『ラフ・トレード』が好きだった時代で、彼らは仲間に証明する為に実際に手作りの”パステルズ・バッジ”(缶バッジ)を作ったみたいなんです。その大好きなバンド『The Pastels』が入った曲名で大切な曲です。
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※ラフ・トレード・レコード:1978年に創設されたイギリスのインディペンデント・レコード・レーベル。1981年にジャパンレコード(現・徳間ジャパン)と契約し、コンピレーションやThe Pastelsなどのシングル盤をリリース。通称『ラフ・トレード友の会』と呼ばれるレーベルのファンクラブも存在し、ファンの間で交流が行われていた。
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牧村:駆け抜けたこの時期はどうでしたか?
信藤:完璧にメンバーの1人ですよね。
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●フリッパーズ・ギター2ndアルバム 『カメラ・トーク』 アートワーク秘話
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アルバムレコーディングでロンドンへ。その後パリに移動しミュージックビデオを撮影した際の話。
牧村:カメラマンを連れて行きたいと言ったら(1stアルバムのジャケットを撮った)三浦(憲治)さんが駄目だって言うんで、三浦さんが信藤さんにカメラを渡した。昨日までシャッターを押した事が無い人が撮るわけですよ。
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牧村:ロンドンのエアースタジオのトイレがカッコ良かったんですよね。パッと思い付いたらやる。1日4,5時間、ロンドンで30時間、その後はパリへ。(世に出ている)倍くらいの映像がある。
※エアースタジオ:ビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンがロンドンに設立したレコード会社のスタジオ。この場合は最初期にオックスフォード・ストリートで運営されていたスタジオを指す。
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牧村:アニエス・ベーで撮りたいと言ったら、何とか貸してくれたのがアニエス・ベーの”屋上”だったんです。斜めの屋根の上に登れってフリッパーズの二人に言うんですよ(笑)
信藤:落ちそうになりました(笑)ファインダー覗いでると自分が危険な場所に居る事を忘れる。今も写真を撮り続けてるんですけど、あのエッフェル塔での写真が一番良いんですよ。勝てないんです。
信藤:カフェで演奏しているシーンのスチール写真があるんですが、あれが東京でカフェブームを作ったと言われて、2件くらい相談が来ました(笑)
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ー映像作品への参入ー
牧村:平面で作られたものが映像になった時は、そちらに移行したかったんですか?
信藤:それはなかったですね。僕のグラフィックデザインを映像に持っていく作業だった。でも渋谷系みたいなものを封印したいって時代はありましたね。
牧村:日本の中では少なくともこういう形は信藤さんしかいらっしゃらなかったですよね。
信藤:映像に行くっていうのはね。
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※デザイナーとしてだけでなく、映像ディレクターとして様々なアーティストのMVや映画の監督も務めている。
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ーCDは好きですか?ー
信藤:CD盤がゆえに出来るアートワークがあると思ってる。
牧村:信藤さんはCDに嫌悪感はあったんですか?僕は新しいものとして受け止めなくちゃいけないと思ったんです。
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信藤:アナログの12インチが良いに決まってるけど、単純にそれを小さくしただけでは面白くないから、おもちゃみたいな感覚で作る。60年代にCDがあったらって考えでいますね。
牧村:ピチカート(・ファイヴ)みたいにアナログでやるってなったら喜んでやります?
信藤:やります。
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※今回の展覧会との連動企画として、1989年に発売されたピチカート・ファイヴのアルバム『女王陛下のピチカート・ファイヴ』が信藤三雄監修による新たなアートワークで完全生産限定アナログ化された。
信藤:CDから12インチにするってあんまり考えずにやってたんですけど、80年代のニューウェーブでこういうジャケットあったなって、置き換えていけるんだなって思いました。
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ー音楽と美大生ー
牧村:音楽の中で新しいものを作る人って美術に関わってるんですよね。小山田くんもセツ・モードセミナーだったり。
※セツ・モードセミナー:ファッション・イラストレーターの長沢節が1950年代に開校した美術学校。様々な界隈に卒業生を輩出し、2017年に閉校した。
信藤:ビートルズもそうですよね。
牧村:音楽の周辺に日常的に触れている人達の方が、アートの先に行けると僕は思ってるんです。
信藤:小西くんにしろ、小山田くんにしろ、本当にビジュアルがすごいから...
牧村:アートワークを知らない音楽でそれでいいのかなって思うんですよね。
信藤:そうですね。
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●フリッパーズ・ギター3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』アートワーク秘話
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牧村:立体をするにあたり、当時ソニーが特許を持っていて、1枚につき100円くらい払わなければいけなかったんです。ソニーにその依頼が来ていたのがB’zのファンクラブと、読売ジャイアンツの選手を立体にするというものと、そこに名も知れない二人(笑)
※初回盤のみパッケージが立体の3Dメガネになっており、アーティスト写真が飛び出して見える仕掛けになっている。
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ーフリッパーズ・ギター幻の4thアルバム秘話ー
牧村:次のアルバムは日・仏・英でのリリースを進めていて、イギリスの『チェリーレッド』はOK。僕は交渉でパリにいて、電話で二人がいなくなった事を聞いたんです。僕のいないタイミングを狙ったのかも知れない(笑)
※チェリーレッド・レコード:イギリスのインディーズ・レコードレーベル。1980年代初頭にネオアコを中心とした作品を扱っており、傘下の『el』レーベルの創始者であるマイク・オールウェイはフリッパーズの二人と交流があった。ちなみにフランスはヨーロッパ最古のインディペンデント・レーベル『サラヴァ・レコード』でのリリースが進められていた。
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ー信藤三雄と渋谷系ー
牧村:信藤さんにとって”渋谷系”という言葉はどのあたりから耳に入ってきました?
信藤:どうですかね...渋谷系って呼ばれる事は僕にとっては不思議で...。
牧村:我々は過去の作品群を大切にしていて、それを再生産しようっていうある意味信藤さんの編集的な技法が音楽と同期してくれたと思います。
牧村:あの時代に戻ってやってくださいって言われたりします?
信藤:それは無いですけど...今は広告畑の人と会ったりする事が多いので。音楽業界以外の人から「信藤さんのファンです」って言われたりします。
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ー会場質問ー
デザインでこれは思い付かなかったなと苦戦したものは何ですか?
信藤:思い付かない時は色程度のポイントまではいけるんですけど、外の景色を見ながらぼーっとしてると正解がやってくるんですよ。神様が教えてくれる。
牧村:『魔の沈黙』って言われてたんですよ(笑)一辺に目が行ったまま動かないんで、何分かしたら急に話が続くんです(笑)
今、アートワークしたいものなどありますか?
信藤:この前撮影したんですけど、きゃりーぱみゅぱみゅやってみたいなって。
牧村:わりかし近い所にいるんじゃないですか。
フリッパーズ・ギターの幻の4thアルバムのアートワークはどうなったと思いますか?
信藤:全然想像付かない。その後の企画物では女性モチーフが多かったんですけど、特別な意図はないです。ただ、女性のヌードを使ってクリエイティブな事をやりたいとは思ってました。
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※フリッパーズ解散後にリリースされた2枚のベスト盤『シングルズ』『カラー・ミー・ポップ』ではジャケットに女性が使われている。
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●おまけ●
牧村:昔(コーネリアスの)カセットを1本200円、9色カラー作ったんです。ファンは全部揃えたくなっちゃったんですよ、情報交換しながらも駆けずり回って。でも、それをやった時には怒られました。売れば売るほど赤字で、1本売るごとに200円払えって言われてました(笑)それをまぁパンクと言えばね(笑)アルバムは25万枚売れたんで、宣伝と思えば。
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※1995年に発売したコーネリアスのカセットシングル『MOON WALK』。アルバム『69/96』の先行シングルとして、1本200円、黒・白・黄・黄緑・緑・青・赤・桃・紫の9色をリリース。
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『ビーマイベイビー 信藤三雄レトロスペクティブ』
会期:2018年7月14日(土)~9月17日(月・祝)
会場:世田谷文学館 2階展示室
※本記事は、実際に会場内で対談を聞いていた私がメモ書きしたものから、文字起こししたものです。少しニュアンスの違いなどが発生しているかもしれません、ご了承ください。
また、スクーターズの活動も含め、信藤さんのアートディレクションは本当に私の中で「デザイン」や「カルチャー」といった言葉そのものでした。 大好きな「渋谷系」という文化もまた、信藤三雄なしには成立しなかったと思います。あらためて、ご冥福をお祈りいたします。(2023.2.12)
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