母と子の夏休み
未就学の子どもがふたり。
普段は保育園に通っているので長い夏休みはなく、大人が働くスケジュールで登園する頑張り屋さんたちだ。
週5出勤、週2休み。
同じスケジュールのはずなのに、子どもたちには休日に休む、という選択肢はない。
「今日はなにしてあそぶ?」と目を輝かせて聞いてくる。
太陽が昇るのに合わせてスッキリと目覚める彼らにとって、連休ではなくても「夏にある休日はすべて夏休み」。
母である私は、都会の狭いベランダを占領する水遊び用プールをせっせと広げる。
子どものころの夏休み
子どものころにできなかった、「家族で過ごす夏休み」をやってみたい。
だから毎年、こんな夏を過ごしている。
そう気づいて、子どものころの夏休みを振り返ってみる。
父は仕事人間、母は専業主婦。専業主婦になる前は小学校の先生をやっていたそうだけど、重度の医療的ケアが必要な子が産まれて、離職した。それが私の兄。
で、私がいわゆる「きょうだい児」。
通っていた幼稚園や小学校は、長い夏休み。
ケア児にとって、夏休みだろうが年末年始だろうが、ケアは必要だ。いつものスケジュールで療育や病院通いをする母と兄にいってらっしゃいをして、ひとりで何をしていたのか記憶がない。
夏休みの家族旅行にも憧れた。
父方の実家も母方の実家も同じ都内である私にとって、地方は憧れ。
でもそのころはきっと、何かあったら駆け込めるかかりつけの病院から離れた場所には行けなかった。私たち家族を受け入れられる環境は多くはなかったのだ、と理解できる。
お留守番から解放されて、一人で動ける夏休みが手に入った中学・高校時代。そして、突然の「きょうだい児」からの卒業。
エアコンの効いた家から出て過ごす、夏休みが待っていた。
私が、夏休みにやりたかったこと
狭いベランダで水遊び。
かき氷に好きなだけ掛けるシロップ。
蚊に刺されるだけの夏祭り。
旅先で感じる緑の匂い。
ホテルのベッドでくっついて眠ること。
ぜんぶ、家族と過ごす夏休みにやってみたかったこと。
ありがたいことに我が子が乗り気で付き合ってくれる限りは、お出かけもしたいし、旅行もしたい。
彼らが私のように、またこうして「子どものころの夏休み」を振り返るとしたら。申し訳ないけど1ミリくらいは覚えていてほしい。
もし嫌な思い出だったとしても、反面教師にしてその時の夏休みを楽しんでくれたら嬉しい。
私の母が、夏休みにやりたかったこと
子どもを育てることで自分の人生を追体験する、なんて言うけど。
追体験というより、自分ができなかったことをやらせてもらっている。
付き合ってくれる子どもたちに感謝しかない。
だからといって、自分の家庭環境を憎むことはない。お出かけできない代わりに、夏休みの宿題に私の母は本気だった。
小学校教員だった母にとって、夏休みといえば宿題だったのだろうか。
自由研究のネタが粗いと口出しされ、日記は毎日スケジュール通りに。
嫌なこともあったけど、それだけ考えさせられた宿題はまあまあイケてる完成度だったから、私としても実は誇らしかったのかもしれない。
母は、手放した教員人生を、夏休みに取り戻していたんだと思う。
夏休みって、できなかったことをしたくなるの、なんでだろう。
母と私。中身は違うけど、夏休みには自分ができなかったことをやってみたくなるのかもしれない。
できなかったことをやってみたくなる夏
できなかったことをやってみたくなるもんなんだなあ、という取り止めもない結論だけど、夏休みってそんな力があるかもしれない。
親や子どもの力を借りずとも、自分でできることもたくさんある。
朝日と一緒に起きて読書してみたり、自由研究のように何か作ってみたり。この夏はこれをやってみた!と思い返せる夏を、今多分過ごしている。
楽しいよ、夏休み!
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