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No.02 - 2020.01.17 -

今回はNo.01の最後の続きから。映画『つつんで、ひらいて』を観た話と神戸と鳥取の本屋について記しておきたい。(長くなりそうなので項目毎に分けてみた)

映画『つつんで、ひらいて』を観て

デザインは『設計』ではなく、『こさえる』ことだ

と菊地信義さんがスクリーンの中で言う。私は酷く居た堪れない気持ちになった。菊地さんがその言葉の前後で言われたことも含め、直近で似たような指摘を受けていたのだ。あの時と近しい感覚が襲ってくるのだけれど、それでも留まって観続ける。これは今の自分にとって、ちゃんと向き合わなくてはいけない映画のようだ。

自分の心に刻んだ通りの「こさえられた」ドキュメンタリーだった。『こさえる』は、「こしらえる」であり、「拵える」。余白を大切に、優しく、丁寧に。鑑賞者である私達に行き渡るように広瀬監督を始めとするチームで「こさえられた」時間。そのように思う。

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パンフレットは菊地さんと弟子である水戸部功さんによるもの。「ぁ、これが1000円で良いのかしら。」と思ってしまった。手触りと刻まれた目眩く世界がそこにある。何度も触ってしまい、その世界に会いに行きたくなる。本とはそういう物なのだと、しみじみ思ってしまう。

この映画は、「映画館で観て→パンフレットに触れて→帰りは書店に立ち寄って「装幀」という視点で本と向き合ってみる」と言う流れがふさわしい。是非、各劇場まで足を運んでいただきたい。大丈夫、鳥取からも県をまたけば行けるから!(1日限定でも良いのでどこかしらで上映しても良いですね)

余談になるが、私は2年前、父の本「出虚室雑記」の装幀をした。大学時代にデザインを学んではいたけれど、ブックデザインをすることは初めてだった。父から表題を描いてもらい、Illustratorでミリ単位のレイアウトをしたこと。紙を選んで感触を確かめ金額を気にしたこと。印刷所での立ち会い、インクを練ってもらい特色で刷ってもらったこと。映画の中で、その時のことを全て思い出していた。走馬灯のようだった。初めてなので稚拙であったように思うが、大御所も自分と同じような工程を踏んでいると、あの時の行動を肯定されるように思う。

そして現在、本の中身も含め、とある本の装幀を行っている。時間や予算間など限りはあるのだけれど、もう一度現在の制作物に対して向き合う時間を持つことにした。うろ覚えだけれど、「装幀は作品に身体を与えること」という言葉があった。この映画を観た後だからこそ、もう一度作品に向き合わないといけない。身体を与える役目が私で良いものか、という不安は常に付き纏うのだけれど、それでも真摯に向き合ってみたい。

神戸の本屋:花森書林

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映画を観て、バスの時間まで本屋を巡ることは予め決めていた。神戸の街を今までそんな目線で歩いたことは無かった。事前にリサーチをしている時にふと、関西時代にお世話になったお兄さんの言葉を思い出した。「僕の姉が本屋をしている。」

そんな記憶を辿って訪れたのが、この"花森書林"。

店の前には、箱いっぱいに本が詰められていて、思わずディグってしまう。「何か掘り出し物はないかな〜」って。店内は奥に細長く、新旧問わず、幅広いジャンルの本が箱いっぱいに詰められている。何か、宝物を見つけるような覚える。古本を扱いながらも懐かしくて新しいような気持ちの良い開放的な場所だった。タイポグラフィ・ティーのバックナンバーを数点と気になったアートブックを連れて帰ることにした。

お会計をする際にレジに立った男性にここに来た敬意を伝える。「なんと!それは僕の兄です!!」と思わぬ返事。お姉さんがされていると事前に知っていたため、旦那さんかと思ったが、まさかの弟さんだった。まさかまさかだったので、弟さんの写真を撮り、新年のご挨拶と共に送りつけてみた。

神戸の本屋:1003(センサン)

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"花森書林"から数分歩き、"1003(センサン)"へ。

階段を登り、2階の部屋を開けると、落ち着いた雰囲気のこぢんまりとした空間が広がる。先程の"花森書林"とは違う良さがあり、別のベクトルで気持ちの良い場所。ゆっくりじっくり味わいたいような店内だ。

こちらも古本を扱っているが、新刊・リトルプレスの方に目が行ってしまった。特にリトルプレスが豊富だったし、詩歌集や「言葉」を扱う本が多いように思えた。演劇やコアなテーマもちらほら(「Hey TAXI」っていうタクシーに特化したZINEがあって気になったけど、大きさが疎らだったし時間が無かったので購入にまで至らなかった。)。帰りのバスの時間が近づいていたため、全ての棚を観ることを諦め、装幀の参考になりそうな本を連れ帰った。

鳥取の本屋:汽水空港

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神戸の2箇所の本屋を廻り、「ぁ〜"汽水空港"っぽい」と思ったので、ここからは鳥取の本屋も紹介したい。

"汽水空港"は、鳥取の真ん中・松崎というエリアにある本屋さん。東郷湖という湖に面していて、店の名前はまさにピッタリだ。

存在は鳥取にUターンする前から知っていて、帰省の際に何度か訪れたが毎回タイミングが悪く開いておらず。昨年、店主のモリさんと鳥取市内でお会いする機会があり、ようやくご挨拶が出来た。年始に時間がとれたので、汽車に揺られ、念願の店の中へ。

こちらも古本を扱っているが、新刊やZINEも取り扱っている。特にZINEのブースは思わず手に取ってしまうような見せ方になっている。魅せ方かもしれない。他の棚にも魅せ方が詰まっていて、ついつい長居してしまう空間だ。

この日は年始で帰省組や県外からのお客さんが多く、子どもや犬もいたり。モリさんが犬好きなこともあり、私も可愛い子犬と触れ合うことが出来た。本屋というよりもコミュニティスペースの意味合いの方が強いかもしれない。そういうビジョンがあっての"汽水空港"という名前なんだろう。

「今度、焼き芋屋さん始めようと思ってるんだよね!」と意気揚々と話していたモリさんは、鳥取に移住してからさらに培われたDIY能力で、2週間もしない内に小屋を建て、店の横で焼き芋屋をする。いつ行っても新しい何かが待っている。そんな場所かもしれない。

鳥取の本屋:定有堂書店

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今は「鳥取の本屋="汽水空港"」かもしれないが、忘れてはいけないのが、この"定有堂書店"。

本のビオトープ。本好き、本屋好きのための「本屋の青空」空間です。

と謳っているように、店内に一歩足を踏み入れるとワクワクが広がっている。「全国の書店員の聖地」とも言われる場所だ。

私が生まれた頃からずっとある場所ではあるが、恥ずかしながら高校生まで18年間では足を踏み入れたことが無く(恐らく幼少期に祖母に連れていかれた記憶はあるがほぼ覚えていない)、帰省時にも足を運んだことが無かった。本屋という空間は昔から好きであるが、チェーン店にしか足を運んでいなかった。京都ではチェーン店にも行くが、恵文社やガケ書房、誠光社といった小さくて個性的な本屋に通うようになる。そんなことをしていた身としては、帰省して尚、本の沼地に入るのは危険だ、と思い、少し距離を置いていた。

Uターンを決めたタイミングで何度か通っているが、毎回1万円近くお金を落としている。あの思わず本を連れて帰りたくなる空間は、本当になんなんだろうか。本に呼ばれているような感覚さえ覚える。是非、現地で体験していただきたい。

おまけ:神戸散歩記

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鳥取から高速バスに乗って三ノ宮へ。阪急電車に乗って新開地。神戸アートビレッジセンターで映画のチケットを購入し、上映時間まで港に向かって歩く。

水辺は良い。心が澄む。日本海と違い、瀬戸内海は余計に穏やかだ。

歩きながら去年の今頃の自分の状況を思い出していた。当時悲しみのドン底にいた私は、家族や友人達、兄さん姉さんが救い上げてくれたおかげで元気にやってこれてるんだなぁと思っている。全部返すことは無理だけど新しい何かでまた始めたい。

そして歩みを進める度に、「この街は復興してきた」ということを節々に感じる。地図を見ると名称に「神戸港震災メモリアルパーク」とあった。図らずもこのnoteの公開日がこの日となってしまった。もう25年も前のことになるのか。鳥取も相当揺れたようで、母に抱きかかえながら目を覚ました。暗い部屋の中で父がテレビを付けニュースを観て状況を把握していた。幼いながらも何か大変なことが起こったのだ、という記憶を鮮明に宿している。忘れてはいけない。そんなことを歩きながら思っていた。

おまけ:今回のイラスト

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この連続シリーズは、「数字に纏わる物事」「2色(定期的に変更)」「描きたい物事」の3つの縛りで進めている。後は、稚拙でも良いので、その日中に描くこと。なるべく1時間以内で。今回は本について描きたいと思っていたので、渡す人と受け取る人の「2」人。相手の為を思って本を手渡すということ。これも『こさえる』ということかもしれない。

いただいたサポートで本を買ったり、新しい体験をするための積み重ねにしていこうと思います。