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アイさん

アイさん、こと、大島 愛さんは、岡山県倉敷市在住の新進気鋭のアーティストです。筆者がアイさんと初めて会ったのは、2022年7月に岡山市中区の岡アートギャラリーで個展を開催されたときでした。

アイさんと直接お話しして判ったのは、アイさんが、制作過程において試行錯誤する自分の心の動きを、明確に言語化されることでした。外から自分の心を眺めて、景色を描写するように語るアーティストに出会ったのは、筆者にとって初めての経験でした。

2022年11月12日から25日まで、岡山県立美術館において、第12回I氏賞受賞作家展が開催されました。アイさんの受賞を記念した、集大成ともいえる展示会だったので観に行ってきました。

岡山県立美術館(第12回I氏賞受賞作家展会場)
会場に掲示されたポスター

さて、芸術人類学の中沢新一によれば、10万年程前の人類において、視覚・聴覚などの五感や感情や運動など、独立して働いていた脳のモジュール間に連絡経路ができました。現世人類の誕生です。そのことで、それまで別々に経験されいた五感・感情・運動が融合し、現実にはない経験、すなわち「幻想」「妄想」が生み出されました。

私たちは幻想や妄想に陥ると、心の内面で考えたことと外界の現実との間に対応関係が見いだせなくなり、幻想や妄想に突き動かされて、不自然な、いわゆる狂気の行動をとります。とりわけ、真っ暗闇の洞窟の中では、幻想や妄想の視覚イメージが溢れ出し、それを壁面に描きつけたのが芸術の始まりと考えられています。1)

会場は全体的に照明が落とされ、洞窟を彷彿とさせました。

会場には、主に人物を対象とした作品が多く展示されていました。

作品を前にして解説をしてくれるアイさん

展示会の図録の扉には、以下のようにアイさんの言葉がつづられています。
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ずっと人に興味があり、
人をたくさん描いてきました。

そして自分の頭の中に出てきたイメージや感情に
できるだけ忠実であろうとすると、
動かしたり、
立体にしたり、
抽象にしたり、
重ねて描いてみたり、
いろいろな方法に挑戦せざるを得ませんでした。
年々取り組みたいものの幅が広がりつづけ、今や手に負えません。

表現の仕方が変わり続けると共に
人に対する捉え方も
一面的な視点から多角的に、
空間も時間軸も広がっていき、
どんどん変わり続けています。

人や社会のあまりの多様さと複雑さに、
私はまだまだ何も知らないんだなぁ
と未だに日々驚くことばかりです。

それを作品として形にした時、
最終的になにか少しでも美しいものになっていればいいな、
と思いながら手をうごかしています。

大島愛

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・・これは、まさに、現生人類の体験が綴られているではないですか!

現生人類は、幻想や妄想が絶え間なく発生し、他者との共通認識をもつことが難しくなってきました。そこで、現生人類が生存するためには、幻想や妄想をある程度抑えて、他者とのコミュニケーションを行うことができる社会関係をつくらなければなりませんでした。大雑把な共通の認識をルール化する、言語の発明です。1)

私たちが認識している世界は、身体によって直接体験される世界です。体験は、一期一会であり、すべて一回限りの特殊例です。一方、言語は、物事を普遍化・抽象化します。例えば、ある対象を「ネコ」と名付けると、自分の飼い猫も、野良猫も、同じ「ネコ」として括られることになります。

このように、私たちは、個々の物事を、特殊な一例として認識するわけですが、同時に、そのなかに典型も認識して、その典型を言葉で表現しているに過ぎないのです。

物事を言語化することで、多くの特徴が捨てられてしまいます。
芸術教育の初期において、「ことばにするな、よく感じろ」と言われる所以です。

ところが、細部を取捨して本質を大雑把に認識する言語の発明は、物事を別のことで表現する比喩の能力を発展させました。比喩は、現生人類の自由な脳のネットワークによって、比喩を重ねることでさらに新たな意味を生み出すことになりました。1)

比喩によって、物事を自分がよく親しんでいるものに見立てたり、頭のなかで操作しやすい心的モデルを作成して操作したりできます。モデル化することで、分析の視点を一点に限定せずに、上から眺めたり、下から覗き込んだり、内部から観たりして、様々な視点から眺めて分析できるようになります。客観的・論理的な分析・思考の獲得です。2)

身体によって直接、認識され、またそれらが混ざり合って生み出される「幻想」「妄想」の世界は、ことばのシステムと融合し、やがて、共に発展する共創関係を形成します2)。

身体システムとことばシステムとの融合(諏訪)3)

そうして芸術は、身体経験のシステムとことばのシステムの二つの知性形態を結合し、新たな表現領域が開拓されて行きます(中沢)1)。

作品のモデルとなったのは、アイさんの友人や学友や恩師や教え子といった親しい人たちでした。アイさんは、モデルとなった人達と、普段普通に話している中からいくつものインスピレーションを得て作品に表現しておられるのですが、その変遷過程を明確に意識化して、表現に反映されていました。会場では、それを振り返って、筆者に理路整然とことばで解説して下さいました。その内省的思考の先には、次の新しい表現の展開が待っていることでしょう。4)

後日、アイさんに、現在の境地を改めてインタビューしてみました。

「過去作と制作のネタのバリエーションは網の目のように拡がっていっておりますが、作品は宙に浮いた一つの塊として存在しているイメージで、内容とイメージと手法が頭の中で合致したら作れるようになる感じです。できた作品は点で、作品が増えていくと線として見えてきて、網の目のように整理していきますが、元々全く順序立てられてはいません。
ごくたまに素材から始まる作品もありますが(今回出品していた泣き顔アニメーションなど)、逆から始まっても一度宙に浮いた点になる事を通過している気がします」

「私は後から結構言語化する方だとは思いますが、作品はまずゴロッとした塊で出て来て、それを後から自分の自覚している切り口で言語化しているだけですね、基本的に。ただ色んな分野に勉強しに行っていたのでそれだけ切り口の角度が増えたというのもあると思います」

「言葉をイメージよりも先行させるな、という教えが基本にあるので、そこは気にしています」

このように、アイさんは、芸術の申し子のような、認識能力(理性・感性・悟性)のバランスがよい人です。

そのような、かけがえのない「才能」が、芸術に理解のある家庭に生まれ育ったことで、早い段階から芸術を指向できたのは幸いなことでした。アイさんの学力からすれば、いわゆる進学校への進学や、その先にある難関大学への進学と安定した就職を望むのが普通だからです。

アイさんは、大学は芸術文化学部に進学され、大学院芸術学研究科にも在籍されました。またドイツにも留学され研鑽を積まれました。
今回のI氏賞をはじめ、数々の受賞歴があり、常に客観的評価を確立しながら、創作の道を前進されています。

最後に、映像の経験も組み込まれたアイさんの最新作を供覧します。

最新の作品の前に立つアイさん

現実と向き合い、現場の創発性を大切にしながら、経験を蓄積して、次の芸術的創造を生み出せる人、

そ・れ・が、アイさん。

大島 愛さん、岡山から世界に羽ばたいて下さい!

文献
1)中沢新一・著:芸術考古学. みすず書房. 2017, P1-26
2)諏訪正樹・著:「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学. 講談社選書メチエ. 講談社, 2016, P119-162
3)2)P161 図5-4
4)羽生善治, 伊藤毅志, 松原 仁・著:先をよむ頭脳. 新潮文庫, 2009, P19-50


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