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頑張ろうね

「ポジティブに考えようよ」
という言葉を聞く度に思う。
ポジティブに考えれば人生は楽しいというのは
真理をついてるのかもしれない。
他人を変えるのはこの世で最も難しいことだから、
自分が変わるしかない。ポジティブに。

でも人生のどん底にいる人にその言葉が届くとは
限らないし、みんながみんなポジティブに
生きることができたら自殺する人はいないだろう。

「ポジティブに考えようよ」という人は
だいたい「頑張れ!」という励まし方をする。

この励まし方は心理学的にもあまり推奨されていない…ような気がする。

言われた側からすれば、「もう既に頑張っているのにこれ以上何を頑張れって言うの?死ねってこと?」
という感じだ。大袈裟だと思うかもしれないが
気持ちが落ちている時は励ましの言葉を素直に
受け取れないことが多い。


私はずっと頑張れという言葉について考えてきた。
何気ない励ましで使う人がほとんどだとは思う。
私の通う大学の心理学科の先生方にも「頑張れ」
と口にする方はいる。

「頑張れ」という励まし方が悪いとは一概に言えないし思わない。
人にはどうしても踏ん張らないといけないときが
ある。そしてその本人もそれを自覚しているとき。
ここで諦めたくないと思っているとき。

テスト前とか大会前とかコンクールとか。
怖くて逃げ出したくて、でもそれができない。
そうしたくない時がある。

「もう十分頑張っているから頑張らなくていい」
という言葉は優しいようであって突き放している
ようにも思える。

その人をどうしても励ましたい、元気づけたい。
それなのに良い言葉がなかなか浮かばない。
私が言う言葉を間違えればその人が傷ついてしまうかもしれない。という恐怖は日々感じる。


「もう無理、死にたい」と言われた時なんて
言葉をかけたらいいのか分からない。
死にたい気持ちは痛いほどわかる。
でもそこで「私もなんだよね」という安易な共感は
良くない。私も〜というのは話題をかっさらうことであって私が今聞きたいのはその子の話だからだ。

どういう言葉をかけるのが正解かというのが
決まっていたらどれだけ楽だろう。
その言葉を言えばどんな辛い思いも
たちまち消えてしまうような言葉。


辛い思いをしている人にかける言葉の正解は
今も分からない。毎日考えている。

最近は「頑張れ」より「一緒に頑張ろうね」
と声をかけるようにしている。
あなたはひとりじゃないという気持ちを込めて。
私もたたかうぞ!という気合いと愛をこめて。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
まとまりのない文章なのに読んでくれたことを
嬉しく思います。

明日も一緒に頑張ろうね。

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