睡蓮の花は見るのは美しいが、いけるのは難しい……🌸🌸
すごく昔のことだけど、夏になると睡蓮の花をいけるお稽古をしたことがあった。
先生の行けたお花は水盤の中で生き生きと咲いているのだけど、わたしがいけると、ちっともきれいじゃなくて、よれよれなので、家に帰ると活け直すこともせず、研究会の花材になんか、なっていようものなら、参加ずることもせず、最初から捨てていた。
蓮の花を見るたびに、いまは亡き先代の先生のことを思い出す。
わたしには手にマヒがあって、指が小刻みに震えている。だから、生け花を始めたきっかけは、女の子のイラストが描きたかったけど、鉛筆では描けたけど、ペンでは描けないことに気がついて、だけど芸術系のクラブ活動がしたかったからだ。
部活だけで終わるつもりだったのに、学校を卒業してからもなぜか続けてしまって、先生が「研究会に出ましょう」というので、先生ってば、何いってんの? わたしがどこまでほかのひとについて行けると思っているのかしら、と思った。
そしたら、先生が言ったのです。
「お花だって、いくら教えても上手にならない人もいるんですよ。そういうひとに研究会に出てみなさい、とは言いませんよ。教えているわたしにも関わってくるんだから」と。
先生が、そういってくれるのなら、やってみようかしら、と始めて、東京の小原流会館で開催される教授者研究会にも参加して、1旧家元教授の資格まで取得することができた。
他人より時間がかかっても、あきらめずに頑張れば、目標を達成できるのだと、誇りに思っている。
だけど、ある日気がついた。
お花を習うにはお金がかかる。私がお花を習って、許状をとれたのは、祖父がお金を出してくれていたからだ。
非正規の公務員だった私のお給料ではとてもお稽古はつづけられなかったであろう。
そのあとケアマネになって正社員になったけれど、介護の現場は仕事はきつい割に正社員は少なかった。
私はまだケアマネが少なかった時代だったから正社員になれたのだと思う。ひとの生活を守る責任のある仕事なのに、なんの保障もないパートさんが多いことに驚いた。
私は自分が身分不相応なお稽古事をさせてもらっていたのだと、支えてくれた祖父母と母に感謝した。
みんな亡くなって、経済的に苦しくなって、お稽古をやめた。
途端に楽しくなくなった。
いまの私には、わずかな年金しか入ってこないけれど、お稽古事は心と体の健康に必要だと思うので、去年お稽古を再開した。
文章を書くのも好きだ。
字が下手なので、パソコンに助けられている。
なにを頑張ればいいのか、不明だけど、書いているうちに見えてくるかもしれない。