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2020年 墨田→袖ケ浦へUターン

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母が急逝した日にUターンを決めました。 20年のひとり暮らしから、父とのふたり暮らしへ。 仕事もほとんど辞め、慣れない家事や、車線変更できないけど運転を始めた。 たぶんだけど、人…
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記事一覧

実家じまい計画 全貌)メルカリで600点売った!ガレージセールも開催。洋服1300着、食…

とにかく実家は物が多い。 物をかき分けてスペースを作り生活しているようなもんだ。 亡き母は…

新しい家族ができた!母を亡くして1年、新しいお義母さんができた。ダメ嫁よちよち。

思っていた「結婚」とは全然違う。でも…婚活に奔走していた頃は結婚に憧れがあった。 家に帰…

母の死の次にデカい“激変”かも。40過ぎて結婚するかもしれないって話。言うならば“…

なんか…母の喪が明けたら、私、結婚しそう。 母のことでこんなに混乱しているというのに、こ…

auを名乗る飛び込み営業が勝手口開けてきた。防犯対策は戸建てよりマンションの方が圧…

墨田で住んでいたマンションはオートロックだったし、1階じゃなかったので、玄関の鍵ひとつで…

猫は「悲しい」の周波数がわかる?母が亡くなった次の日、お隣の家の猫がなぐさめてく…

母が亡くなった次の日、お隣の家の猫、シロさんがきた。 家の外でニャーニャー鳴いている。 な…

20年に1回くらいの自治会“班長”。家長の父が拒否するから班長会議に出てみた

母が急逝して実家に帰ってきた大混乱のその年、うちは10〜20年に一度くらいの頻度でまわってく…

1日3回きっちりお腹が空く父。常備菜の魔術師になりたい

父の「腹減った」対応。 これがなかなか私の時間を奪う。 1回の食事は少なめ。 ちょっとでお腹いっぱいになってくれるんだけど。 朝ごはんちょっと遅めになったから、多めに食べといてお昼を抜くとかできない。 洗い物の関係で、たいらげてほしくても「無理」の一言で箸を置かれる。 融通がきかない。 ひとり暮らしの時は、家で一人でごはん食べるなんてことはなかった。 どんなに素晴らしいお料理も、1人で食べるって楽しくもないし美味しさも半減する。 1日1食で良かったし、その1食ははだいたい夜

自力で食糧を確保したい。コロナが流行り、畑で野菜を作り出したけど

母が亡くなったことがきっかけではないのですが…2020年春から畑を始めた。 本能かもしれない…

大好きだった町も部屋も、さようなら。混乱の中、2ヶ月かけて引っ越した

向島はスカイツリーができてから家賃相場が上がったけど、15年間家賃は据え置きだった。 85000…

まちづくり・デザイン・マーケティング・商業施設…1000枚以上ある新聞記事の断捨離着…

新聞社がメインクライアントの会社にいたので、主要一般5紙と業界紙2紙を会社でとっていて。 …

母が亡くなってから、日焼けして、太った。そして髪を切れなくなった

数えきれないくらいの変化があって、それをひとつひとつ数えて、見つめながらnoteに蓄積してい…

父はお湯を沸かす以外のことはできない。やるつもりもない。だがしかし…

私は母ほど完璧じゃない。 母が甘やかした父(75歳 元気!)を育てないと、まわらない。 父は「…

母の哲学&台所流儀、ストイック過ぎて引き継げない

Uターンして、いきなりドスンとした量の家事をすることになり、日々あっぷあっぷ。 自分のやり…

引っ越して、防災の観点も変わった。今は「備える」のチャンスの時

東京では文化的な暮らしができるし、一緒にいて楽しい人もたくさん。 メジャーなもの、マニアックなものまでイベントも目白押し。 情報的にも物そのものも最先端なものが手に入るし、サービスも豊富。 学びの選択肢が多く、メリットは挙げればキリがないほどある。 一度は東京に住んでみた方がいい。 それを経験するかしないかの差は大きい。 ただ、デメリットやリスクもたくさんある。 その最大が命に関わる防災面。 町や建物の造り、人の多さも危険因子。 食糧やエネルギーの自給率は0に等しく、イビツ