理想の朝ごはんってどういうの?
ふらっと立ち寄る喫茶店のモーニングや近所の定食屋さんの朝ごはん、ファストフードのモーニングメニュー。朝ごはんもいろいろあります。でも自分が食べたい朝ごはん?どんなの?こう考えてしまうのは忙しい日々があったせいかもしれません。
忙しいと感情がこわばる
2カ月ほど前になります。そのときはとにかく忙しくて忙しくて、朝早くに自宅を出て帰宅は暗くなってから、というスタイルになっていました。まだまだ寒い時期だったので、朝早くは辛い。
朝ごはんも食べないで出ることもありました。そんな日々を約1カ月続けると、帰宅してからの夕食作りもしんどくて作ることもできない。帰宅途中の駅ナカのスーパーで食材を買って帰る日が続きました。
こうなると、なんだか心もカサカサに。せわしない毎日が続き、期限があるもののあまりやりたくないことだけに、気分的に落ち込む日々が続いていました。時間もなくて、毎日駅ナカの喫茶店をを眺めながら素通りする日々。ガラスケースにならぶモーニングを横目に足早に目的地に行く日々。
ルーチンとしてのごはんは義務
朝ご飯を抜いていたので、腹が減っては戦ができぬ、的感覚で現場近くのコンビニに立ち寄りおにぎりやサンドイッチ、お茶やジュースを買い込み時間を見て機械的に口に運んでいました。ほぼ1日をその場所で過ごします。最寄りのお店までは徒歩で約10分ほどですが、その時間すらも惜しかったのです。とにかく早く終了に持って行く。これがこの期間の着地点でしたから時間を無駄に使いたくなかったのです。
食事はおなかを満たし命をつなぐだけでなく、心も満たす役割があります。だから人はおいしい食事や、美しい盛り付けに心惹かれるのです。自分の心に余裕がないと、どんなにおいしい食事もきれいなお皿に盛りつけられたお料理も、心に響かず味気ないものになります。
この期間の自分には「とにかく早く」という意識が強かったので、「おいしそう」とか「食べたい」などの感情は封印してしまっていたようでした。とにかく早く早く!何かに急かされる毎日。
日々計画どうりに片付いては行きましたが、それに比例するように食事も「作業」になっていました。「味わう」という余裕がなくなるのです。
わたしは何かを一心に思いつめると、それに集中してしまうから他のことをシャットアウトしてしまうのかもしれない。そうしないと進まない現実があるのかもしれません。
ふたたび味わう楽しみが戻る
とにかく終わらせなければならない、と自分を追い詰めた毎日はやがて終わりを迎えました。すべては予定の期間内に終了し、手続きも完了。
スッキリとした気分で現場を後にしました。ああ、やっと終わった、これでいい。
帰りはスキップしたいような気持で駅まで向かいました。いつもなら素通りしてしまうあの喫茶店にはコーヒーと食事を楽しみにしている人々が集います。
今日は入ろう。
いらっしゃいませ、の声も心地よくお昼近くでしたがモーニングを選びました。選んだのはホットコーヒーのブレンドに、ホットドッグ。時折、あのマスタードが無性に食べたくなり、ついついモーニングで注文するのです。いつものシンプルな組み合わせ。ああ、これこれ、とコーヒーを一口。ホットドッグを一口。おいしい。やっぱりおいしい。久しぶりに、おいしいと思えた朝ごはん。昼近くだけど。
シンプルの極みのようなメニューですが、久しぶりに朝ごはんがおいしいと思えた日でした。特別なメニューでもなく、日々のさりげないシンプルな朝ご飯が毎日おいしいと思える日々がつづけばいい、としみじみ思うのです。
そしてそれが私の理想の朝ごはんです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?