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卒業間近、一瞬だけ主人公になれた気がした

中学と高校の六年間を女子校で過ごし、たまに起こる男子校との交流イベントでは教室の隅に縮こまる。そんなこんなで塞ぎ込み、もはや「青春」の落ちこぼれとなっていた私だったが、卒業間近に愚かな悪あがきを見せる。

「青春」の主人公になりたかったあの日々

中高六年間の女子校生活は、嬉しいことも悲しいことも、すべて色とりどりの思い出であふれている。
しかし、そのなかでも高校時代を思い返すときには、雨の日の昼間の風景を窓ガラスを通して見ているような気持ちになる。雨が嫌いなわけじゃないのに気持ちは確かに暗く、でもキラキラとした水滴が透明なガラスを滑り落ちていく様はどうしようもなく美しく、なぜか胸が締め付けられる。

* * *

私が高校時代に所属していた放送部は、女子校でありながらも男子校との交流を持つ特異な文化系クラブだった。コンクールでの賞獲得を目指して合同練習会を開催したり、時にはコンクール運営スタッフをともに担ったり、ほかの部活動に比べると男子と接する機会が圧倒的に多かった。普段女子だけの環境のなか、部活という枠組みに入った途端に突如として現れる異性の存在。彼らと話しているだけで。彼らの戯れや会話を見ているだけで。それはもはや異文化交流のようだった。

同学年の友人や先輩、後輩たちは皆、合同練習で相手校の生徒たちと話したり、運営スタッフを一緒に担当したり、「男子」ととても上手く付き合っていた。しかし、私は彼らと上手く話すことができずに、いつも華やかな交流を遠くから見ているだけだった。とても情けないことに、彼らを目の前にすると言葉が喉の奥につっかえてうまく出てこなくなったり、体が強張ったりしてしまい、他愛のない会話もままならない状態になってしまう。だから、当然運営スタッフにも立候補できずに、彼らと上手く付き合い、部活以外のプライベートでも一緒に遊びにいったりする友人たちをただ見ていることしかできなかった。
かろうじて参加した合同練習会でも、技術を褒められたり、かわいいかわいいと騒がれるほかの友人たちに対して、私のみボロボロの辛口評価をくらうという経験をしてしまい、尚更気持ちが萎縮した。

私にとって、男子たちと付き合い、アニメや漫画のような青春を謳歌する周囲の子たちは皆、誰もが「特別」な存在に見えた。それは憧れの感情にも似ていた。男子たちの話をするとき、友人たちの表情はいつもよりキラキラとしていて、とても楽しそうだった。彼女たちは、青春という物語のメインキャラクターに選ばれたのだと思った。部活での技術とか大会での戦績とか、そういうものとはもっと別のところで、皆は今とてつもなく貴重でかけがえのないものを手にしているところなのだと……。
私にも、彼女たちみたいな、そういう「特別」になれる日がくるんじゃないかと思っていた時期もあったけれど、そんな日は来なかった。私は選ばれなかったのだ。ただそれだけのことなのだ。そこで諦めていればよかったのに。
私は「特別」になることを、諦めきれなかった。

T先生のこと―――萩原朔太郎『竹』

冬から春に変わる、季節の境目。受験シーズンが終わり、あとは卒業式を残すのみとなったある日のことだった。私立文系の校内講座のクラスで、中心人物だった子が「お世話になったT先生に、寄せ書きの色紙を贈ろう」と皆に呼び掛けた。
T先生とはその講座を担当していた国語科の男性の先生で、ユニークでわかりやすい指導は人気があった。校内講座のクラスは少人数だったこともあり、皆の意見がまとまるのは早い。無論、その色紙には私も参加することになった。

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T先生は人気の先生だったけれど、少し変わり者だった。
授業のはじめに「昨日は夜通しウシジマくんを見ていて、今日はすごく眠いんです。ウシジマくんを知っていますか?」と皆に語りかけたり、よく廊下をふらふら歩いては、何もないところをぼうっと見つめていた。そんな飄々とした雰囲気なのに、テストはやたら難しい。問題の最後にいつも必ず自分の考えを書かせる論述問題を入れてきて、テストのたびに悲鳴があがっていた(今でこそ、そのような論述問題の出題は普通だけれど、当時は珍しかった)。

また、先生の授業は、わかりやすさはもちろんのこと、歯に衣着せぬ物言いで斬新なモノの見方を提供してくれて楽しかった。
ある日の現代文の授業で、萩原朔太郎の『竹』を扱ったときに、先生は生徒全員に詩からイメージされるものを絵に描いて提出するように課題を出したことがあった。いつもと一味違う課題にワクワクしながら、私は『竹』から連想したものとして、人間が竹のように身を伸ばして支え合っている様子を絵に描いて提出した。皆思い思いに、竹を横や下から見た絵や、私と同じように人間にたとえて描いた絵を提出し、先生はそれに目を通した。一つの詩でも、いろいろな視点があって面白いですねと前置きしたうえで、先生は「けれども」と言った。

「たしかに、この詩は人間が力強くしなやかに立ち、支え合っていく大切さを表したものかもしれないですが、本当にそうなのでしょうか? これは本当に何のたとえでもなく、ただの「竹」について語っている詩かもしれないのに、人間本位で考えるのは、実に身勝手なことだと僕は思うんですよね」

先生がそう言うと、教室はしーんとなった。生徒の大半が、あの『竹』という詩を人間にたとえて解釈していたのだ。授業のあと、先生に対して納得いかないような、難色を示している子もいたけれど、私はこの授業が今でも忘れられない。
これまでの国語の授業では、どんな自然風景をうたった作品でも、そこからは人間が生きるうえでの大切さやメッセージ性を読み取ることが最も重要でそれが普通とされていたのに、先生はその認識を良いと思っていないようだった。先生のその考え方は、ほかのどの先生からも聞いたことがない、新しくて衝撃的なものだったのだ。

私はT先生のことが好きだった。授業自体も好きだったけれど、先生の雲のように掴めなくて、ふらふらっとどこかに行ってしまいそうな感じが不思議で、ずっと見ていたくなってしまうのだ。先生と話したいがために、何度も質問に行ったし、大好きだった堀辰雄の話をしに行った。先生が自分をどう思っているかなんていうことはどうでもよく、私はただ、先生と話したかった。それは私の知らない、名前のない感情だった。しかし、そのときの私は幸せだった。手に入れたいと望んでも叶わなかったものを、つかの間与えられた子どものように、私はT先生との時間を大切に思っていた。だから、T先生が担当する私立文系の校内講座も迷わず受講を決めたのだ。

* * *

寄せ書きのメッセージには、「今までありがとうございました。」とだけ書いた。好きだった先生への寄せ書きともなれば、ほかにもいろいろと書きようはあったのに、このときの私はすでにおかしかった。私は、卒業間近の期に及んで「特別」になろうとしていた。

それがたとえ悪あがきでも

きっとクラスの皆はT先生への感謝の気持ちを、ありったけの言葉を尽くして一生懸命書いてくるに違いない。だから、私は思い切り簡潔に淡泊に書いてやるのだと……そんなことを本気で思っていた。それだけではなかった。
出来上がった寄せ書きの色紙はクラスの皆で先生に渡しに行き、そのときに合格の報告もする手はずになっていたのだが、あろうことか私はそれすらも拒否した。何か適当な理由をつけて、その集まりには加わらなかったのだ。これに参加してしまうと、私はクラスの皆と「同じ」になってしまうと―――「その他大勢」の一部になってしまうと思ったのだ。彼女たちの中に加わらないことで、自分だけは「違う」存在になろうとしたのだ。
それはT先生にとっての「特別」であり……「物語」の中の存在としての「特別」だった。

既に動きの決まりきった歯車を乱すように。形の全然違うパズルのピースを無理やり嵌め込むように。それはもはや悪あがきだった。けれど、それでもよかった。私は卒業を間近に控えたこのタイミングで、手に入らなかった「特別」を取り戻そうとした。もう出来上がりつつある青春という「物語」の一部へと……「特別」な一部へとなろうとしたのだ。

その結果、私は大好きなT先生に対して感謝の言葉もまともに伝えられず、合格した大学すら報告できないまま卒業することになった。
今でもたまに思い返しては、後悔する。あぁ、あのとき寄せ書きにきちんと感謝の気持ちを書けばよかった。先生の授業が大好きだったこと。堀辰雄の話ができて楽しかったこと。全部書けばよかった。皆と一緒に色紙を渡しに行っていればよかった。色紙を渡して、お礼を言って、第一志望校に合格できたことを伝えればよかった。
先生は私の代が卒業したあとにすぐに退職してしまった。今どこで何をしているのかはわからないけれど、もう二度と会うことはないだろう。

一瞬の「特別」を一生抱いて

私の拗らせた、ちっぽけな意地のせいで、いまだに恥ずかしくなるくらいのモヤモヤが消えずに残っているけれども、それでも私はあのときたしかに一瞬だけ「特別」を手にすることができたのだ。そりゃあ先生にとっては、淡泊な色紙だって、姿を見せなかった事実そのものだって、何もとるに足らない出来事だったかもしれない。それが「私」であると認識すらしてなかったかもしれない。けれど、私は「その他大勢」ではなく、「ただひとり」になりたくて彼に背を向け、そして今手元には後悔ばかりが残っている。それこそが、私が焦がれた「特別」なのではないだろうか? 私が望んでも望んでも手にいれることのできなかった、青春という「物語」なのではないだろうか?

在学中の部活動では、私は友人たちのようなキラキラとした物語を手にすることが叶わなかった。しかし、卒業後に思い返してみると、私の後悔それ自体が一つの、唯一無二の結末として私に語りかけた。これでお前の物語は終わり、お前はたしかに、一瞬だけど「特別」になれたのだと。

だから、私は、これから先も、先生へのメッセージを一言で終わらせたことと、あの日に色紙を渡しに行かなかったことを、いつまでも永遠に後悔し、そして慈しみ続けるのだ。
窓のむこうに滴る、春の雨を眺めながら。

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