花
花が枯れた。ある花は水分が失われてカラカラになっていた。ある花は項垂れて甘ったるい匂いのする蜜を、垂らしていた。
花束がやって来たばかりの時は、部屋の中がフレッシュな甘い匂いで満ちていて、幸福感でいっぱいだった。ユリは香りが強いから、お見舞いには向かないと聞いたことがある。3本のユリが、自分の存在を誇るかのように、部屋いっぱいに香りを際限なく広げていた。様々な花があったはずなのに、僕はユリのことばかりを思い出す。
僕は花というものに今まで全く興味がなかった。ところが最近になって、花が大好きになった。道端で花を見かけると、しゃがみ込んでよく観察した。ムチッとしている花、コロンとしている花、タコの口のような花、クルクル、ピラピラ、フワフワ…など形状も様々だった。さらには、不思議な模様を持つ花や言葉で表すことのできない色の花もあり、世界には、こんなにも生命力が溢れた美しいものがあるのかと、見つける度に心を動かされた。あまりの鮮やかさに、恐ろしささえ感じることもあった。以前までの僕は、花を花としか認識していなかったが、今では、花の種類もよく知っている。
花に目を向けるようになって気づいたことは、僕自身が落ち着いて過ごすようになったということだ。少し踏みとどまって、一息つく。日々、絶え間なく湧き出て絡み合う情報の迷宮を彷徨う途中、脳の疲労感でボーッとしてしまうのではなく、意図的な休息だ。迷宮の中にいること自体は変わらないのに、行き止まりの壁にもたれかかって、ティータイムでもするかのように余裕が持てた。花はそういった休息をもたらしてくれる。
花が僕にそう促してくてくれたのか、僕が落ち着いたことで、花を見ることができるようになったのかはわからない。
でもきっと前者だ。家に花があるというのは穏やかで、気分が良い。毎日、花瓶の水の減り具合を確認して水を変える。香りと見た目の華やかさに癒される。次第に元気がなくなって、ダメになった花を丁寧に労わりながら取り除く。今日はユリの花がボトリと落ちて、鮮やかで美しかった頃の彼女へと思いを馳せた。寂しさも感じるが、花の様子を見守ることもまた、僕の生活を豊かにさせた。
生命は儚い。だからこそ尊くて美しいのだ。よく謳われる月並みな言葉だが、手の甲にこびりついて取れなくなったユリの花粉を見て、そう感じた。もう枯れてしまったけれど、確かな生命力を、存在していた痕跡を、僕は辿ってしまっている。
今度、誰かに花を贈ろう。
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