「幸せにならなければならない」という根深い思い込みから自由になる方法

<今日から現実が変わる幸せの法則>

ようやくこの文章を書く時がやってきました。

僕は今、とても穏やかな気持ちで言葉を綴っています。
1年前の僕とは比べ物にならないほど、心は穏やかです😊

ちょうど1年前、政府が1回目の緊急事態宣言を発令しました。
それにより僕のお店は休業を余儀なくされ、先の見えない不安の中、毎日を過ごしていました。
それから5月に入り、半ばには宣言が解除され、お店の営業は再開。
でも、安心も束の間、コロナ禍の仕事のストレスは尋常ではなく、僕はそれを家庭に持ち込んでしまったのです。

そこから家庭は崩壊。
妻子とは離れ離れになりました。
メンタル立て直しのために、僕自身は半年間、精神科に通いました。

それからというもの、渇ききった心は次第に潤いを取り戻し、それ以上に、大きな安心感につつまれて、今は生活することができています。
もちろん家族も無事に、また一緒に暮らせています。

ではその半年間で何があったかというと、
ただ精神科に通っただけでなく、本で読んだことや自分で試したこと、気づき、発見したことなどを自分に取り入れ、みるみるうちに意識が変わっていくという経験をしました。

後述しますが、現代人は今、終わりなき競争に晒されています。
競争社会の中で生き残るために、常に競争意識を持たされています。
それは生まれてからずっと経験してきたことによる刷り込みそのものです。

そう、人間は思い込みの中でしか、まだ生きていません。
言い換えるなら、まだ本当の生を全うできていないということです。
それがどれだけ虚しく、悲しく、悲惨で、残酷なことなのか。
思い込み自体が当たり前になりすぎていて、全く自覚できないのです。

この1年間、僕にとっては心のリハビリ期間でした。
とはいえ、飲食店で勤務しているため、まとまった休みを確保することはできませんでした。

でも、連休をとれない僕ですら、意識を変えていくことによって、たった1年で随分と生きやすくなったのも事実です。

その意識とは何か?

先ほど書いたように、思い込みを変えていくことです。
何をどう思い込んでいるかに気づき、新しいイメージへと書き換えていく。
それに伴い、新しい現実を選択していく、ということです🚪

それは決して難しいことではありません。

「本当はどうしたいの?」
「あの時、本当はどうしたかったの?」

と自分の心に訊いていくのです。

思い込みから自由になる度に、自分自身の視界が拓けてくるでしょう。
自分にはもっと可能性があり、もっと自由に生きていいんだと気づき、震えることでしょう。
これまで経験してきた感動を、超える瞬間が必ずあります。

それは言いすぎじゃないの??笑

なんて思う方もいるかもしれません。
個人差があるのでそれは否めませんが、少なくとも僕は、ここに書いていることを実践してきて、生き方が大きく変わりました。
だから手を抜くようなことは絶対にしません。
本気で伝えれば救える命もあると思っているので、こうして言葉にしています。

さて。
前置きが長くなりました。

では、本章に入る前に1つ質問です。
全ての思い込みの原点はどこにあるでしょう?

いきなり結論を言ってしまいますが、
「人は幸せにならなければならない」
です。
僕たち現代人の無意識深くにある、この思い込みこそが、苦しみの原点です。

後述の文章を読んで頂ければ、
【人類はなぜ、幸せを目指したのか?】
それが理解できるでしょう。

ではこれより、
「幸せの奴隷」解放宣言を始めます。

どうぞお付き合いください✍



◆全体完成度 6/29現在   35/100%◆



第一章 脱理性偏重

さて、始まりました、「幸せの奴隷」解放宣言。
まずはじめに、一番大事な意識のお話です。

僕らが幸せについて考える時、必ず考えるのが、《幸せじゃない状態》についてです。
《幸せじゃない状態》について考えてしまうのはもう、無意識に近いので仕方ありませんが、幸せについて考えること自体が、結局は《幸せじゃない状態》を呼び寄せてしまいます。

そして何より、この《考える》という行為自体が、幸せから最も遠いんですね。
ある意味では、考えに支配されている状態、とも言えます。

考えるのは理性。
感じるのは感性。

そう、幸せというのは感じるものなのです。
考えてわかるものでも、納得するものでもありません。
「幸せだなぁ。。」ってじわ~っと、心で感じるものなんです。

わかるでしょうか、この感覚。
幸せは心で感じるもの。
頭で考えるものではない。
その意識が一番大事です。

ですので、第一章で言いたいことは、1つ。
脱理性偏重の重要性です。

現代人の考える幸せは、理性が生み出したものがほとんどです。
現代人の考えが生み出したものばかり。
それは心が本当に望んでいることではなくて、見栄やプライド、世間体や関係性を考えて考えて、選ばれたもの。
要するに、人目を気にして考え、生み出された結果です。
そんなものを選び続けていると、いつかは疲れてしまいます。

僕自身も苦い経験があります。
幸せになりたい、その一心で競争社会に飛び込み、成果主義から抜けられなくなっていました。
社会は常に成果を求めてきます。会社は利潤を生み出すために効率を求めてきます。だから競争させてきます。そこで働く人たちの心は置き去りのまま。
そんな状態が長く続くはずがありませんよね。

現に今の日本は、鬱病で苦しむ人がたくさんいます。
心が壊れてしまう人もいれば、体が動かなくなったり、自殺にまで追い込まれてしまう人もいる。
このような状態で日本社会がこれから成長していけるとは、僕は到底思えません。

それならば僕らが進むべき方向は1つ。
感性を大事にする道です。
それは脱理性偏重であり、脱競争社会であり、脱成果主義でもあります。

理性に偏る時代は平成で終わりました。
令和は感性を開拓していく新時代です。
開拓するということは、僕らにはまだまだ気づけていない自分たちの可能性があるということです。

世間が決めた幸せの形に翻弄されてはいけません。
それは理性だけで決められたことだから。
僕たち個人個人が見つけていくべき幸せの形は、それぞれ違います。
そして、それは誰が教えてくれるわけでもなく、自分自身の中にあるのです。
この記事をすべて読み切ることができた時、わかるでしょう✍

脱理性偏重の重要性について書いてきましたが、これに気づかずに何十年も生きている人はたくさんいます。
たくさんいるというより、感性で生きる道を誰も知らないのです。

知らないからメディアの思い通りにイメージ操作され、国家に搾取されてしまいます。
知っているかどうか、それを理解できるかどうか、
そんなことが今後の人生を大きく左右するのです🚩


では、理性から自由になる3つの道を順に見ていきましょう✋

①脱理性偏重

~しなければならない〈義務・強制)
~すべき(半強制)
~してはならない(禁止・抑圧)
~すべきではない(抑制)
○○と比べて~は良い・悪い(善悪二元論)

この辺りの言葉が口癖になっている人は多いと思います。
組織に属していれば、そこでのルールがあるので仕方ないことではありますが、できる限り使わないのが望ましいです。

僕も普段はお店で働いているので、かなり気をつけてはいますが、気を抜くと考えが善悪二元論にハマってしまいます。
良いか?・悪いか?でしか物事を判断できなくなるのです。
それではけっこう危険です😰

で、あれば!
「~しなければならない」よりも
「~したほうが楽しい」と思ったほうが楽しくイケそうな気がしませんか?笑

理性で考えるのではなく、感じるままを大事にしていきたいものです😊


②脱競争社会

これは自分と他の誰かを比べることです。
それが当たり前になった世界が競争社会です。

正直、自分と他の誰かを比べても、良いことなんてほとんどありません。
ゼロじゃないにしても、デメリットが多すぎます💦
ですので、できることなら距離を置くことをオススメします。


③脱成果主義

成果にも様々な種類がありますが、カンタンに言えば、【富と名声】です。
現代でいうところの、【お金と承認欲求】ですね。

それらを求めた結果、仕事の大半が効率重視になり、手間やムダが徹底的に省かれます。

でも、本人にその意識がなくても、それをプライベートに持ち込んでしまって、人間関係がこじれてしまうケースもたくさんあるようです。
それでは本末転倒ですよね💦

ちなみに、②と③は相互に関係しあっています。
競争が成果主義を生み、目に見える成果がまた競争を助長する💰
人類は今、止まらないジェットコースターに乗っているのです。
当然、乱高下により人々は翻弄されます😵

理性の本分である、正しい思考ができなくなるのです。。。

成果も効率も求め過ぎないためには、自分にとって本当に必要なものは何なのか?をハッキリさせることが大事です✋


第二章 お金のブロックをとっぱらう

・お金は汚い
・お金を求めるなんてガメツい
・お金のことばかり考えるなんてはしたない
・お金を求めることは恥ずかしい
・お金持ちには悪い人が多い

こんなことを思ったことはありますか?

おそらく日本人の大半が一度は思ったことがあると思います。
例にもれず、僕もずーっと思っていました😅

でも実は、お金に対するこういった考えやイメージを持っているかぎり、お金は寄ってこないんですね。

なぜかというと、お金にも意思があるからです💸

では仮に、お金を一人の人間だと思ってみてください👧
先程のような歪んだイメージを持っている人のところに、お金は自らの意思で進んで行きたいと思うでしょうか?

人間だったらわかりますよね。
自分のことを嫌っている人のところに行きたいと思う人はいません。
自分のことを嫌っている人とは関わりたくない、と思うのが普通ではないでしょうか?

それって実は、お金も同じなんですね。
お金のことを大好きでいてくれる人のところに、不思議と集まるようになっています💸
実際に、幸せなお金持ちの人はどんどんお金持ちになっていますよね。
逆に、表面的に取り繕ったエセお金持ちの人たちは、最終的にはお金に嫌われてしまう傾向が強いように思います。

ということで、お金に対するイメージをとっぱらっていきましょう✋

過去(古いイメージ):悪い、汚い、ガメツい、はしたない、恥ずかしい
未来(新しいイメージ):大好き、感謝の形、愛で溢れているもの、助けてくれるもの

お金に対する新しいイメージを見て、どう思うでしょうか?
僕は最初は抵抗感がありました。苦笑
でも、だんだんとお金が大好きって思えるようになり、口に出して言えるようになりました🙌
お金とは、愛の存在です。感謝そのものです。
愛を与えれば、愛が返ってくる💓⇔💓

人と人がやり取りするだけのモノではなく、お金自体にも意思がちゃんとある。

本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教えⅡ』では、

お金の奴隷になるのでもなく、お金の主人になるのでもなく、お金の友達になろう

と書いてあります💰
なるほどなぁ~と、うなずきました😊

で、お金が友達と思えるようになるにはネガティブな過去のイメージを、新しいイメージへと書き換える必要があります。

ではそもそも、お金に対するイメージは、なぜこんなにも良くないのでしょうか?

生まれてからずっと、お金に対するイメージは悪かったのでしょうか?

いえ、そんなことはありませんよね😳
我が家もそうですが、小さい子どもはまだ、お金に対するイメージを持っていません。

じゃあ変なイメージはどこからやって来たんだろう?
って考えてみると、僕の場合は、物心がついた頃の家族の出来事にありました。

・ほしいものがたくさんあったけれど、買ってもらえず、結果的に友達のものを盗ることをしてしまった時の罪悪感。
・小学生の頃にお小遣いがもらえなかった時の悔しさ。
・もっと早くゲームを買ってもらえていたら、友達と仲良くできたのに、という悲しみ。
・自分がほしいものはガマンする。買ったとしても、一番安いヤツ。

みたいなことがありました。

当時の僕は6~8才くらい👦
その時に抱いた感情が、しこりのように心の中にずーーーっとあり続けて、20年もの間、僕の一挙手一投足に影響し続けていたわけです。
幼き日のタケル少年の悲しい思い出が、僕の中にあったんですね。

ネガティブな過去というのは、それを見ないように蓋をすると、何倍にも膨れ上がって現実に押し寄せてきます🌊
小さかったしこりが、大きな腫瘍になってしまうのと同じように。
それは、ネガティブな過去が、その存在にちゃんと気づいてほしくてアピールしてくるのです。
本当は、ただ気づいてほしいだけなのです。
ですので、気づいたら、その存在をちゃんと認めてあげる。
そうすることで、過去は癒され、まるで成仏したかのように、心のしこりがなくなります😲

これ、ウソみたいな話ですが、本当なんです✋
過去は向き合って、その存在をちゃんと認めてあげたら、消えてなくなる。
やってみてください。
本当ですので✋


第三章 やりたいことの本当の見つけ方

さて、現代人の多くが抱える悩みの1つに、「やりたいことが見つからない」「やりたいことがわからない」があります。

僕からすると、やりたいことの見つけ方なんて、山ほどあります。笑
教えるのはカンタンですし、見つけるのもカンタン。

でもみんなやろうとしないんです。
なぜかって?

それはおそらく、しっくりこないからでしょう😒
やりたいことなんて、いくらでも見つかるはずなのに、どれだけ探しても納得のいく答えが見つからない、そんな気がするのだと思います。

はい、そうです。僕がそうでした。苦笑

では、その僕がどうやって本当にやりたいことを見つけたのか?
というお話です。

結論から言うと、「自分が本当にやりたいこと」というのは、【手段の目的化】に気づいたその先にあります✨
まず【手段の目的化】に気づかないと、本当にやりたいことって見えてこないようになっているんですね。

では、分解して見ていきましょう✋

たとえば、僕がカレーライスを食べたいとします😋🍛
すると、
手段(道具)はスプーン、目的はカレーライスと言えますよね。

で、ここでもし、手段が目的化してしまっていた場合、僕はスプーン集めに奔走したり、スプーン選びに1日費やしたりしてしまうワケです💦笑(極端な例ですが)

この例でいくと、僕はただただカレーライスが食べたいだけなのに。。。🍛
手段が目的になってしまうと、本来の目的であるカレーライスを食べるという行為にありつくことができません。

気持ちの優先順位を不等式で表すと、

本来は

手段<目的なのに、
手段>目的
になってしまっているんですね💦
これを【本末転倒】と言います😅

で、カレーライスの話には続きがあります🍛笑

僕は今、空腹です😞
とりあえず何かを食べたいと思い、たまたま思いついたのがカレーライスでした🍛

カレーライスはたまたま思いついただけ。
ということは、お腹を満たせれば、食べるものは何でもいいということです💡

整理すると、
手段はカレーライス🍛
目的はお腹を満たすこと

となりますね。

ここで手段が目的化してしまっていたとしたら、
カレーライスはそもそも家で食べるのか?外で食べるのか?
家だとしたら、レトルトか?自分で作るか?
外だとしたら、どのお店で食べるか?
なんてことをアレヤコレヤと考えているうちに、疲れてしまいます。。。😓

結局、
「お腹を満たせるならカレーじゃなくてもよかったじゃん!😭」
と気づき、自分にゲンナリしつつ、家で一人、納豆ごはんを食べるんです😗苦笑
お腹は満たされるかもしれませんが、心は満たされません。
手段の目的化の典型パターンです✋

このお話からの学びを整理しましょう。

①手段が目的化していないか、立ち止まって考える。
②もう一回り大きな枠組みの【手段の目的化】がないか、探してみる。

目的が達成できれば、手段は何だっていいのです✋
本当の問題は、目的をキチンと認識できているか?というところにあります。

その目的をちゃんと自分が認識できていれば、手段に惑わされたり、固執したりすることがなくなります。
そして、マトリョーシカのような構造にも気づくことができるのです。

【手段<目的】<目的

目的だと思っていたものですら、実は手段に過ぎなかった、ということですね☝

この構造に気づかないと、自分がやりたいこととは違う方向にどんどん進んで行ってしまうので、本当に注意が必要です!⚠

実は【手段の目的化】のお話だけで本が1冊書けるくらい、濃い内容なんです📖
ここではカンタンにしか説明していませんが。

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