認識することで見えてきたもの〜休むということ〜
職場の方から借りて、鬼滅の刃の漫画を見ています。12巻まで読んだ。
くらげ体操を日々しているから思うのかもしれないけれど、炭治郎の認識力が半端ないと思う。。。
くらげ体操でも、くらげの動きをすることで出てくる身体の動きを認識していくことをするのですが、日々、引き出される身体の動きって違っていて面白い。
そんなくらげの育みをしながら、1週間前からとあることをして、日常の自分のことを認識するということをしている。明らかに見るというのか。そんな感じ。
今日は、朝、普段通りに目が覚めたのですが、寒気と鼻水と眠気を感じたので、眠気に任せて2度寝することにしました。
で、起きたら昼過ぎ。やっちまった〜っていう気持ちを感じつつ、昼過ぎまで寝たという認識をする。
と・・・あれ?
今の身体の感じは、朝感じた寒気も鼻水もなく、何だかしゃっきりスッキリ。元気になったにもかかわらず、やっちまったってどういうこと?寝るとか、休むとかっていうことを悪としていないかな?サボってるって自分で思ってないかな?という、自分の持っている設定への疑いが芽生えた感じ。
私が休む時って、思い返してみたら、限界きてダウンすることが多かった。体力あるから、多少の無理もできる。何かにエネルギーを注いでいると、自分の疲れって認識しづらくなる。結果、疲れたなぁって時は、かなり疲労困憊なことが多い。
私にとっての休みって、かなり重要度が低いというか、後回しになっているなと感じた。
休憩とか、休養とか、物事の効率を上げるのに、とっても重要だと思っている。
なのに、自分に関しては、かなり後回しになっているな。
長く走り続けるためには、ちょっとした休憩も大事にしないとな。
積極的に休むというか。
大事な時に、最大限、力が発揮できるように。
認識力が上がっているから、自分の体調の変化も、もっと繊細に気づくことができるのではないかなとも思ったり。
もっと自分のことも大事にしようと思った。
認識すること、客観視すること。
自分の枠がたくさん見つかる。