痛い自分を感じる・・・決めると変わる
ここ数日、いろんな感情が渦巻いたり、いろんな出来事があったり。
その中で、特に、自分の至らなさを感じることが多い。
至らないというか、わかったと思っていたことが、まだ表面をなぞっただけだったことに気づいたというか
わかったと思っていたことが、全くわかっていなかったということに気づいたというか
楽しんでやっていたことが、実はすごく無理をしながら頑張っていたことだったということに気づいたというか
やりたいと思っていたことが、実は今はそうでもなかったという気持ちに気づいたというか
やりたいことのために、今はどうすることが一番良いと思っているのかが見えてきたというか
なんというか、価値観が変わってきている。
今まで感じていたことの一つ奥が見えてきた感覚。
そして、祖父の死がきっかけで、物事の見方がさらに変わってきたというか。
とにかく、一番は、自分の未熟さ、愚かさ、傲慢さ、そんな至らない自分に気がついたことが大きかった。
いつもはそこで、見ないようにしていたのだけど、今回は、あえて痛いまんまを感じるようにした。
それはそれは、痛すぎて、痛すぎて、ショックでしばらく立ち直れんかったこともあった。
けど、痛いなぁって感じていることも、一つ一つ、何に対して、どんなことを感じて痛いと思っているのかを、細かく細かく認識していった。
本当は、何にどんな気持ちを感じたいのだろう?
本当は、どういうことが心地よいのだろう?
気持ちを感じるたびに、身体の反応を感じてみた。
身体がホッとする感覚、身体が強張る感覚、身体を感じると、その気持ちはなんだか薄っぺらいなぁとか、こういうふうに思うと安心するんだなぁとか、今までとは違った気持ちが新たに見えてきて、価値観が変わってきたような気がする。
その身体の感覚に合わせて、「こういう願いもあるのだけど、今はこうしよう」とか「本当はこうしたかったんだな」とか、一つ一つ決めていったのですが
決めたら変わるんだなと。
その方向で、物事が動き出したり、欲しい情報が入ってきたり。
もう一度、丁寧に見直してみていることから、価値観が変わったり、視野が広がったり。
決めるっていう力ってすごいな。
感じて決める。
いいことばかりでなくて、どんな感情も感じると決める。
味わってみる。
やり切ってみる。
やり切ると見えてくる。
ついつい逃げてしまうとこだけど、一番近道かもしれないと思った。
しばらくは、喪に服しながらも、色々と自分を感じたり、見直したりする時間にしていこうと思います。