先輩の問い
「なんのために酒を造りたいの?」
これは、僕の先輩からの問いだ。
当時、僕は飲食店でアルバイトをしていた。先輩とは、その飲食店で出会った。比較的歳が近く、自宅最寄り駅も隣だったので、よく一緒に帰っていた。20分程度の帰り道、酒の話や相談事が日課となった。
ある日の仕事終わり。先輩と、駅のホームで電車を待つ。「将来、醸造所に勤務したい。酒造りをしたい」と語る僕に、彼は言った。
「なんのために酒を造りたいの?」
先輩は続けて問うた。
「なんで仕事にしたいの?造りたいだけなら、家で造ればいいじゃん。なんでわざわざ仕事にして、人様からお金を貰おうとしているの?」
衝撃的な言葉だった。一瞬、何を言われたか理解できなかった。
「美味しい酒を造りたい!そのためには、酒造会社に入らなきゃ!」
そんな様にしか考えたことがなかった僕は、答えることが出来なかった。苦し紛れに「いやいや、自家醸造は違法ですからー!」なんて陳腐な返しでお茶を濁した。
先輩は「へぇ」などと軽く返事をしたが、その目は力強く、試されていると感じた。僕は、恥ずかしかった。
「仕事でやる意味を考えろ」
その後、この話を先輩とする事はなかったが、僕はこの問いについて考えるようになった。しかし、いつまで経っても答えが出ない。明確な答えを思いつけないまま、悶々と過ごす期間がしばらく続いた。
先輩の問いは、本質的なものだった。「造りたいだけなら、趣味でできるぜ」という、単純な話。
例えば、料理や製菓が好きな人は、家で作れば良い。音楽が好きなら、家やサークルで演奏すれば良い。作った曲はインターネットで投稿することも出来る。お酒だって、日本では違法なものの、自家醸造キットは市販されているし、海外に行けば問題なく造れる。
仕事にせずとも、プロにならずとも、そのモノに触れて、楽しみながら生きることは可能なのだ。そう思うと「酒を造りたいから醸造家になる」というだけでは短絡的であり、「何故プロになるのか」という理由が大切だということは理解できた。
「人の幸せを願う」
考えるうちに、思い出したことがあった。自分の原体験、酒を造りたいと思ったきっかけのこと。それは、1杯の酒だった。
かつて、大きな挫折を経験し、人生に迷っていた時期があった。どうしようもなく落ち込み、活力も失った。その失意のどん底で飲んだ、ある1杯の酒がとても美味しく、感動したのだ。たった1杯の酒を飲んだだけで、人生に希望が持てた。
「全ての人を幸せにすることはできないが、飲んでくれた人を幸せにすることはできる」と思えた。自分がしてもらったように、人に希望を与えられるような酒を造りたい。それが醸造家を志すきっかけだった。
「仕事でやる」意味は、そこにあると思った。人の幸せにコミットできる。「造りたい」のではなく、「飲んでくれた人を幸せにしたい」のだ。あの日、自分を救ってくれたあの酒のように。人の幸福を祝い、人の哀しみを癒し、人に寄り添う酒を造りたいんだ。
先輩の問いのおかげで、自分の想いを言語化する事ができた。答えを見つけたと先輩に報告すると「べつに興味ないから、言わなくて良いよ。ただ、自分の中で大事にしな」と言われた。
醸造所で働き始めて8年が経った。経験を重ね、立場が変わり、見える景色も変化した。それでも、ときどき先輩の問いを思い出し、自問する。
"なんのために酒を造りたいの?"
もう迷わない。