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「しくじり家族」(五十嵐大)は「家族の再生」を見事に描ききった名作だったよ、というお話

私とCODAの関係性

私は重度の聴覚障害者だ。

ただ、人工内耳をつけているので、日頃は手話などは使わず、妻とも普通に会話できる。しかし、これはあくまでも「人工内耳」をつけている間の話で、人工内耳などを外してしまえは、完全に静寂な世界に行ける。そういう意味では、自分は聞こえる世界も聞こえない世界も内包する「シュレディンガーのくらげ」なのである。まぁ、ただのアイデンティティーの迷子である、ともいうのだけども。

ところで、「両親が聴覚障害者である健聴者」のことをCODA(コーダ)ということがある。CODAの方々は「障害者」ではないのだけど、このCODAの方々が抱える問題は「ヤングケアラー」や「きょうだい児」のように、見えないけど人生に深刻な影を落としていることが少なくない。

私は「聴覚障害者」というアイデンティティーを持った後、人工内耳の手術をして「一応は聞こえる」という世界にやってきた。それ自体はとても便利なことなんだけど、「聞こえること」に何故か居心地の悪さを感じることは少なくない。なんというか、聞こえることが「聞こえない人への裏切り」のように感じてしまうのだ。

CODAの方々が人知れずに抱える苦悩の一つに、親が聞こえないけど、自分は「聞こえてしまう」という在る種の罪悪感のようなものがあるそうだ。その罪悪感は、私のわだかまりととても似ているのではない、と想像していて、そういう意味で、CODAはとても「近い人達」だと勝手に思っている。

「しくじり家族」を読んだ

日本のCODAの中でも、最近、メキメキと有名になっているのが五十嵐大さんだ。さまざまな媒体でCODAとしての苦しみや、親に対する深い愛情を執筆しており、記事をリリースするたびに大きな話題になっている。

その五十嵐さんが初の著者として10月に出版したのが「しくりじ家族」だ。積ん読や多忙もあってなかなか読めなかったが、一度手を読み始めたら一気に読み終えてしまった。それくらいに面白かった。

みんなが「しくじっていた」家族

「しくじり家族」というタイトルを拝見したときに最初に思い浮かんだのは五十嵐さんの「聴覚障害者の両親」だったのだけど、この本に出てくるのは全員なにかしらの「しくじり」をしている人たちばかりだ。というか、聴覚障害の両親が一番「普通」に見えるくらい、登場する皆様に癖がありすぎる。

なかでも「しくじっている」のは祖父である。元ヤクザで大酒のみでDV・喧嘩は当たり前。五十嵐さんに包丁を突きつけるような荒くれ者で、正直、こんな人が家にいたらたまらないどころの話ではない。そんな家族に囲まれていたら、そりゃ「しくじった!」と感じても当然だ。

「しくじり家族」が本当にしくじっていたもの

この「家族の物語」は「しくじり家族」から離れて自由になりたい、と逃げるように単身上京した五十嵐さんのもとに、伯母から「祖父が危篤である」という電話が入ったところからスタートする。

祖父は帰省した翌日の朝に亡くなり、ひょんなことから孫の五十嵐さんが喪主を務めることにもなった。(この喪主を務めることになった経緯も聴覚障害者への社会的な偏見がすごくて胸が痛くなった)

実のところ、このあたりまでの本の内容はめちゃくちゃネガティブである。五十嵐さんの実家に対するわだかまりや確執などを反映して、重苦しくジメジメしている。というか、五十嵐さんはなにか主体的に動いているわけでもなく、ただただ、流されるように喪主に仕立て上げられて苦労する、という話だ。

しかし、「ある出来事」をきっかけに、五十嵐さんは「しくじり家族」であっても、家族は家族なのだ、存在を否定はできないのだ、ということに気づいてゆき、喪主としての役割を果たそうと決意する。

そして、過去に起きた一つひとつの出来事を思い返し、ほんとうに「しくじっていたもの」が何だったのか、家族の痛み・苦しみの正体はなんなのかをたどっていく。ここからの語り口は相変わらず淡々としているけど、それでも徐々に明るく、暖かくなっていく。その果てに見た「家族の本当の姿」はぜひ本著を読んで確認してほしい。

家族を描ききった名作

家族というのは、一筋縄ではいかない。どの家にもそれぞれの「家族のしくじり」があり、「家族の愛」がある。一面だけみればどれだけ悲惨な家でも、その底に愛があることもあれば、一見幸福な家でも冷え切った関係性に陥っていることがある。家族の本当の姿は簡単に見えるものでも、単純にジャッジできるものでもない。(だからこそ、家族をテーマにした名作は数多いのだけども)

今の時代、「自分は正しくて家族は間違っている」と切り分けて、ともすれば自分の立ち位置を「正当化」しようとする話がとてもウケてしまう。その中で、「しくじり家族」に勧善懲悪もスカッとするエピソードもない。だけども、それだからこそたどり着けた「家族の再生」には深い感動があった

「しくじり家族」は「家族の難しさ」にしっかり向き合い、深い考察と洞察で書ききった名著だ。ぜひ、一人でも多くの人に読んでいただきたい。

次作も期待してます

余談であるが、五十嵐さんがなぜ「独りっ子」なのかが明らかになるシーンでは、母親も聴覚障害である我が身として、本当に号泣してしまった。

聴覚障害はこの本のメインテーマではないが、それでも、ところどころに垣間見える「深い聴覚障害者への差別」はとても馴染み深いものがあった。五十嵐さんが今書いている本はこのあたりの「差別」を描いたものらしいので、これはこれでとても楽しみにしている。

というわけで、今回はこのくらいで。では。


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くらげ
妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。

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