’木の葉’の記憶
私の大好きだった恩師は42歳の若さで逝去した。
18歳の時に慶応大学の構内で一人歩きながら舞落ちていく木々の葉を見て、「子供が生まれたら、❛木の葉(このは)❜と名付けよう」と半ば鬱状態でふと決めたらしい。
研究が認められずに39歳まで月収7万程度だった。40歳の時に大恋愛をした後に結婚し、41歳で女の子が生まれ、❛木の葉ちゃん❜ という23年間ひたすら心の中で温め続けてきた名前をつけた。
その直後ある日突然大学から助教授就任の話が飛び込み、地位も名誉もお金も家庭も全て手に入る生活に一変。その時に私に言ってくれていた言葉がずっと印象に残っている。
「すべてを手にした時に、自分はこれが欲しかったの?って思った。こんなものが欲しかったの?って。今思えば、18歳の時から挫折続きで鬱になり、一見恵まれない境遇にありながら、暗闇の中、❛一筋の光❜を求めて無我夢中で手を伸ばし続けた20年間が、自分の人生の中で最も幸福だったのではないかと。あんなに渇望した心で手を伸ばしきって何かを掴もうとする、あんなに心が生きようと前に向かって懸命になっている、そんな価値ある時間はもう二度と自分には与えられないだろう」と。
そんなことを語ってくれながら、もらい泣きしている私に「お前泣くなよ~」と涙目で笑いながら言ってくれた。その年に念願のフランスへの留学が決まり、「憧れのアンリベルクソンの研究してくるよ。」と旅立って行った。
数か月後、大学のHPで訃報を知った。急性アルコール中毒だった。苦労と共に人への気遣い力がレベルアップしていき、留学先の飲み会で大量に(アルコール分解が速いアングロサクソン系の人たちにあわせて)一気に飲まざるを得なかった結果だったらしい。
訃報を知った時に涙がこぼれ落ちたけど、ぜんぜん悲しくなかった。
暗闇だと思っていた時間が実は一番光り輝いていた時間で、そんな尊い時間を人生の中で経験できたという事実を、本人から聞かされていたからかもしれない。
「神様は先生に、一番好きな場所で人生を終わらせたんだなぁ・・」
とだけ思った。
真っ暗闇だったはずの時間が、実は人生で一番輝きを放っていた時間。
人生って逆説的なことの方が多いのかもしれない。
今日、ハラハラと無邪気に、だけど少し切ない雰囲気を醸し出しながら舞落ちてくる❛木の葉❜を見て、ふとそう思った。
人の数だけ、hi-storyがある。
脱皮するための何かに使いたいです。