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自立とは、依存先を増やすこと。
1)依存は自立の反対語?
社会福祉士の全国大会が7月に開催され、熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター准教授・小児科医)の記念講演がありました。テーマは「自立とは何か―生きることを支えるソーシャルワークへの期待」 。記憶に残る講演だったので、共有します。
小学生に「自立」の反対語は? と聞くと、多くは「依存」と答えるそうですね。自立と依存は対極で、交わらない概念に思えます。でも、「世の中で、何にも依存していない人は存在しません」。熊谷さんの話は、そこから始まりました。
障がい者は「誰かに依存しないと生きていけない」一方で、健常者は「何でも自分でできる」。一般的にそんなイメージを持つ方は、多いかもしれません。でも、毎日食べている食事、その食材、住んでいる家、職場までの交通機関等、少し考えてみると、自分だけで完結できているものは、ほとんど存在しませんね。熊谷さんの話は続きます。
例えば歩ける人にとって、階段は少し手間ですが、上れないことはありません。でも、車椅子で階段は上れず、バリア(障壁)に変わります。健常者が自分の依存に気づきにくいのは、健常者(=多数派)が暮らしやすいように、社会がデザインされているから、なのかもしれません。
2)東日本大震災の経験と、自立の定義
熊谷さんは、新生児仮死の後遺症で脳性麻痺となり、現在も車椅子生活を送っていらっしゃいます。被災時、東大の研究所にいらした熊谷先生。唯一の避難手段であるエレベーターまで、電動車椅子で必死に移動しました。でも、大きな揺れで電源が自動停止。他に避難手段もなく、頭が真っ白になったそうです。
結局、同僚の方々が熊谷さんをかついで階段を下り、避難ができました。その時の体験を踏まえ、「自立」の概念を整理したのが以下です。
【健常者と障がい者の避難方法の比較】
・健常者:エレベーター、階段、窓からロープ等
・障がい者(電動車椅子):エレベーターのみ
健常者には「避難方法」の選択肢が複数あるので、ひとつひとつの選択肢への依存度は低くなります。障がい者には、エレベーターしか選択肢がないので、唯一の選択肢への依存度は、必然的に高くなります。
震災体験を経て、熊谷さんは「多くの選択肢(依存先)を持っているからこそ、自立できる」と見抜きます。依存先の多さが自立に繋がるなら、依存は自立の反対語ではなく、自立を実現するための手段になる訳ですね。
3)ソーシャルワーカーの役割
ソーシャルワークでは「意思決定支援」が重要視されます。でも、「依存先の開拓なしに本人の意思決定だけを支援しても、自立は成し遂げられない」。今回、熊谷さんが一番伝えたかったメッセージのひとつは、これだと思います。
確かに、ソーシャルワーカーの友人たちと話しても、「意思決定支援」に関する話題は数多く出てきますが、「社会資源開拓」については、あまり聞いたことがありません(自分の周りだけかもしれませんが)。
社会福祉士の倫理綱領にもある通り、僕たちには「人と環境」双方への働きかけが求められます。「意思決定支援」と「社会資源開拓」は、「人と環境」そのものです。
富める人がより豊かになり、貧しい人がより厳しい環境に追い込まれる現状には、自助や自己責任で解決できない課題が潜んでいると思っています。それは、自分の意思や能力では整えられない、「環境」の問題です。
いつの時代もそういう側面はあると思います。でも、今の日本は特に、「恵まれた環境いる人が、暮らしやすいようデザインされた社会」なんだと感じます。そして、恵まれた環境にいる人は、そうじゃない環境にいる人たちの声に気づきにくい。
そして、恵まれた人と、恵まれない人の二極化・分断が広がった先に現れるのは、均質で脆い社会なんじゃないか、という嫌な予感がします。困っている時は「困っています」と気軽に声が上げられて、その声に「手を貸すよ」と応える人がたくさんいる社会。そして、「困っている」と「手を貸すよ」は、いつでも入れ替われる社会。青臭いかもしれませんが、そんな社会の一員になりたいと、本気で思っています。